私的純愛幸福論

「何なんですか、こんな夜に呼び出しやがって礼儀もしらねえのか、このノータリン女」
「うわあ、相変わらずひどいですねえ。ベルゼブブさん」

へらりと笑ってベルゼブブを見た彼女に違和感。まずひとつ、視界が違う。普段は見上げるような形であるはずなのに、今は彼女を見下ろしている。次にふたつ、彼女の服装。今までに見たことがないように薄っぺらい。最後、ここはいつも呼び出される部屋じゃない。
はじめひとつの疑問は己の掌を見て解決した。そうして、それは芋づる式に解決していく。ようするに結界がない所で呼び出されたのだろう。事務所ではない場所、そうしてさくまが笑っていて、ここまで条件がそろえば頭のたりないアザゼルも理解できるだろう。

あぁ、どうしてこんなにも吐き気がするんだろうか、腹立たしい。人間なんて汚くて、醜くて、そのくせ弱くて。そんな生き物にどうして使役されてやらなければいけないのか。この、私が。暴言を吐いた私に、けれども己の使役主でもある彼女は笑った。そうして「そうかもしれません」とそういった。意外だった。彼女はどちらかといえば、前向きな人間だったような気がする。何か問題がおこれば、まっすぐにその解決方法を見つけるために前に進み続ける人間らしい人間。怪訝そうな顔をしたのがわかったのか、彼女はどうかしましたかと静かに首を傾げる。

「貴方はいい人≠セと思っていたので」
「私がいい人≠ナすか?」

彼女は面白そうに私の言葉を鸚鵡返しした。そうして、何が面白いのかくすくすと笑い始める。笑っているのに何だか悲しそうなのが印象的だった。可笑しなものだ。可笑しいなら可笑しく、悲しいのならば泣けばいいのに。人間は、不可解。否、不可解なのはこの女だからかもしれないが。ひとしきり笑い終わったのか、彼女は顔をあげて私を見て言った。

「まさか!いい人≠ェこんな風に悪魔なんて使うものですか!」
「そうですか?」
「そうですよ」

彼女はまるで自分の言葉を確認するように、何度も頷いた。そもそもですね、と彼女はそういって視線を落とした。

「アクタベさん、イイ人嫌いですし」
「……さあ、それはどうでしょうね」
「なんですか、それ」
「自分で考えなさい、このビチクソ女が」

アクタベは、彼女を気にいっている。いい人か、悪い人かなんてきっと彼は関係ない。初めこそは打算の関係だったのかもしれないが、いつの間にかきっと彼は彼女自身≠気にいりはじめているに違いない。あぁ、腹が立つ。そんなことを思った自分にくつりとベルゼブブは自嘲の笑みを浮かべた。気にいらぬのは、アクタベに気にいられる彼女なのか、それとも彼女を見つめるアクタベか、アクタベを気にする彼女か。

「馬鹿馬鹿しい」

誰が、とは言わなかった。その対象はもしかしたら自分かもしれないし、彼女かもしれなかった。彼女は自分に対しての暴言だと判断したのか「口が悪いですね」とただそう言った。ねえ、でもやっぱり、私は貴方をいい人≠セと思いますよ。悪人はね、そもそも自分がいい人≠ナあるということを否定なんかしないものなんですよ。知りませんでした?
百歩譲って、否定する時としたってそんなに苦しそうな顔をしなければ、そんな風に傷ついた顔をするわけありませんよ。ね、だからやっぱり、貴方はいい人≠セ。

「……そんなんだから、悪魔につけ入れられるんですよ」

例えば、私みたいな悪魔に。

「え?」
「いいえ、こちらの話ですよ」

そういって、とろけるような笑みを浮かべてみせる。彼女はベルゼブブの真意を見定めるかのように見つめた。あぁ、全く、そんな瞳をしないでください。叶わぬ恋に苦しんでいる、なんてそんな表情をされると虫唾が走る。彼女が自分以外を見ているというのならば、全部、全部を、奪い去ってやりたくなる。そもそも、悪魔の本質はご存じで?あぁ、知っていたのならばこんな風に弱味を私になんか見せませんよねえ。悪魔はね、人の弱みに付け込むのが得意なんです。ゆらゆらと揺れる人間の精神に入り込んで、そうして隙を見て、その人間を喰らう。一見、人間側に主導権を渡したようにみせながらも事実、悪魔が有利な取引。

「ねえ、さくまさん」
「はい?」
「――――取引、しませんか?」

今までにないくらいに優しく、穏やかな声でそう口にする。とりひき、と彼女が呟いたのを見てベルゼブブは目を細めた。身をかがめる。彼女の耳に唇をよせる。

「全部、忘れさせてあげますよ」

甘美な夢と悦楽をみせてあげますよ、と悪魔らしく囁やいてみせる。誰かを疑うなんて行為を彼女がするわけがなかった。そもそも悪魔であるベルゼブブに気を赦している時点で生き物としては失格である彼女は小さく息を飲んだ。

「勿論、貴方が望まなければ私は身を引きますが……。けれど、貴方が心配なのです」

目を憂い気に伏せ、あたかも心の奥底から心配しているというように装った。望まなければ身を引く?心配?心にもない言葉をつらつらと並べ立てるけれど、ベルゼブブは全く心なんてもの痛まない。そもそも悪魔に心なんてものあるかはわからないけれど。ベルゼブブは、彼女に手を差し出してみせる。あたかも、選ぶのは貴方ですよ、なんて示しながらけれども自分は彼女が自分の誘いを断りきれるわけがないということを知っていた。だって、彼女はいい人≠セから。そうして自分が悪魔≠セから。そもそも悪魔に魅入られた時点で、その人間は幸せなんかになれるはずがないのだ。そろり、と彼女の掌がベルゼブブのソレに重なる。

かかった、

心の裡で、にんまりと笑う。けれどももしかしたら、外へと出していたかもしれない。それほどまでに愉快だった。彼女がアクタベではなく、自分を選んだことが。だからこそ、顔を見られる前に彼女の手を握る。そうして、引き寄せる。抱きよせて、抱きすくめる。初めこそ、驚いて抵抗しようとした彼女だけれどもすぐに大人しくなった。大人しく、ベルゼブブの腕の中に収まった。


取引を迫ったのは悪魔でも、取引をすると決めたのは貴方。

「それでは、生贄を、」

知っていたでしょう?そもそも悪魔に魅入られれば、あとは堕ちるだけ、貶すだけ。初めからね、もしかしたら私はこのチャンスを狙っていたのかもしれない。人間という生き物はね、神と悪魔の間をゆらゆらと漂う生き物。神に近い貴方を手に入れられないというのならば手に届く範囲まで堕としてやればいいんです。高みに上り詰めることは難しくとも、堕ちるのは一瞬。ね、ほら、


――――――――もう貴方は、わたしのもの


*噎せかえるように甘い、と首に口づけてそう思った。確かめるように白い首筋に舌を這わせば舌先には塩辛さを感じた。塩辛いはずなのに、けれども思った。なんて甘い。ぴくりと身体を震わせる女は、けれども抵抗はしなかった。ただ、ベルゼブブの腕の中で身動きひとつせず、息を詰めている。


きつく、きつく噛みしめられた唇は赤を通りこして白くなっている。きっと、もう少し時間が立てば彼女の唇は彼女自身の血によって汚れてしまうだろう。彼女の血が彼女を汚すのはそれはそれでベルゼブブの目を楽しませてくれそうだけれど、例にもれずベルゼブブも悪魔らしく独占欲が強い。彼女を傷つける行為が自分ではないというのが(例え、ソレが彼女自身であろうとも)赦せそうにはない。これだから処女は、と悪態をつきたくなったがそんなことをすれば彼女は益々、貝のように唇を閉ざしてしまうだろう。あぁ、全く、面倒くさいことだ。そうなれば、選択肢はひとつだった。

ベルゼブブは彼女の着ていたセーターを捲りあげた。
「―――――っ!」
声なき悲鳴、というのを聞いたような気がした。それに気がつかなかったふりをして、遠慮なく胸へと手を伸ばす。ソレは、ふにふにとベルゼブブの手の中で形を変化する。下着の上から触っているというのに、次第に頂が尖ってきているのがわかって、唇を吊り上げた。
「へえ、存外、スキモノなんですねえ」
「!っち、が…ぁ!」
乱暴な動作で下着を上へとずらして、胸の色付く蕾を唇に含み、嬲る。先程までは唇を噛んで声を堪えていたようだったが、ベルゼブブの言葉に抗議をしようとして口を開いたのがいけなかった。一度、溢れた声は中々抑えることができなくなったようだ。段々と愉快な気持ちになってくる。頂を舌で潰し、まるで幼子のように吸ってみせる。空いているほうの胸の頂は、左手で弄る。ひぅ、と情けない声で啼く女にベルゼブブはくつくつと笑う。ちらと相手を見てみれば、熱に浮かされたようにぼんやりと、まるでとろけたような目をしていた。上気した頬は薔薇の色。こんな表情をしっているのは、ベルゼブブだけだと思えばとてつもなく愉快だった。

普段は隠れている足を撫で、抵抗される前に自分の体をその間へと滑り込ませる。下着を取り払えば、今更、怖気づいたのか何なのか抵抗された。
「あ、ま、待っ!」
「こんなに濡らしておいて?」
「っひ、ぁ…ぅ!」
じとりとぬかるんでいるその場所に嘲るように唇を吊り上げて、容赦なく膣へと指を突き立てた。あげる嬌声、その中に苦痛の色を見つけて「おや」と目を細める。どうやら、本当に処女だったようですね、と本当はわかりきっていたことを呟いてみせれば睨まれた。……とはいっても、涙に濡れた瞳では全く怖くもなんともないのだけれど。むしろ、そういう行動は男の性を煽るだけだと何故わからないのか。喉を鳴らし、ベルゼブブは彼女の裡にある指を動かした。内壁を引っ掻くように指を曲げて出し入れすれば、じゅぶじゅぶという厭らしい音とともに嬌声があがる。
「や、だめ、ぁ、指やだ、奥だめ!ぁ、あ…ひっ!」
びくびくと身体を跳ねさせるのを横目に、次は何をしてやろうかと企む。どうしてこの少女はこんなにも、ベルゼブブの嗜虐心を煽るのだろう。


*
今思い出しても、そうだ。昔から、アザゼルという悪魔は馬鹿だった。馬鹿というのは学力ではない。馬鹿でも勉強は出来る。ベルゼブブがいいたいのはそういうことではなく、生き方の話である。根本的には頭は悪くないはずだというのに、けれどもアザゼルは馬鹿だった。そういえば、決定的にそう思ったのはいつだっただろうか。ふと昔を思い出す。
「きみは、さくまさんが好きなんですか?」
一度だけ、そう問うたことがある。その問いを投げかけたのは気紛れというにふさわしい。そもそも、興味すらなかったはずなのだ。だから、これは気紛れと興味本位。普段から女性にはだらしない彼が、けれども雇用主だからといっても過剰なくらいに優しく≠オているのを見て、気になった。言葉にすると、アザゼルは驚いたように目を丸くして、それから笑ってみせた。
「あんな、べーやん」
こそりと秘密を打ち明けるかのように、彼の友人はこう告げた。らしくない、みたことがない種類の笑顔だった。優しい声だった。こんな顔をしたところを、ベルゼブブは一度だってみたことがない。
「俺な、アクタベさんの事好きなさくちゃん、好きやねん」
「……」
その言葉を聞いて、馬鹿だなと思った。そうして悪魔らしくないとも。だったらどうして人間の娘をつれてきてはさくちゃん≠ニ呼んで、遊んでいるのか。そんなに欲求不満になっているというのならば、淫奔の悪魔というのならばその能力を使ってしまえばいいのに。いくら制約≠ェあるにしてもやりようによっては可能だ。要するに害さなければいいだけのはなし。そもそもグリモアは悪魔のために存在しているのだ。限りなく悪魔の味方であるのだから、利用してやればいいのに。そもそも、欲しいものは奪い取るというのが悪魔の主義だというのにいつの間にこんなに符抜けた男になってしまったのか。ベルゼブブは、違う。蠅の王という名にふさわしく、悪魔らしい悪魔だ。欲しいモノは奪い取る。いつだって。……そう、それこそ、どんな手を、使っても。





「いつまでヒト型なんですか、ベルゼブブさん」
「少し試したいことがあるんですよ。黙っていなさい」
アクタベの結界を通ってもいつものぬいぐるみのような姿になるわけでもないベルゼブブに佐隈は疑問を持ったようだった。
「ベルゼブブさん、人型だと妙に注目浴びるんですよ!」
「当たり前です。この私を誰だと思ってるんですか、魔界のプリンス、ベルゼブブ優一ですよ?」
「……」
「そんな風に心の奥底から蔑ずんだような目をするのはやめてください、流石に悲しくなります」
他愛もない軽口を叩きながら、事務所のドアを開ける。途端、先に召喚されていただろう悪魔が意気揚々とこちらへと駆け寄ってきた。

「おそかったやないか、さくちゃん!今日もおじさんがセクハラしまくっ、て」

事務所のドアを開け放った私たちを見て、目を見開くアザゼルの顔は今までみた中で最高に面白かった。きっと、彼はわかってしまったのだ。男を知らぬはずの、己が恋をした人が、男を知ってしまったこと。そうして、その相手がベルゼブブであること。彼の中にはどんな葛藤があるのだろう?それを想像すると、とても面白かった。可哀想に。そんな職能をもつばかりに知らねばいいことをしってしまって。

「……べーやん……?」

信じられない、という顔をしているアザゼルに「どうかしましたか」と笑って見せた。佐隈はアザゼルの反応に首を傾げて、それから「私はイケニエの準備をしてきますね」と台所へと向かった。その後ろ姿を見送りながら「どうしたんです、そんな間抜けづらをして」ととぼけてみせる。
「あぁ、もしかして。この姿のことですか?」
言いながら、ベルゼブブは所謂ヒト型≠ノなっていることを説明してみせる。勿論、アザゼルが聞きたいのはそんなことではないということを知りながら。
「私はね、さくまさんと契約をしなおしたんですよ」
「……契約?」
はっとしたような顔をしたアザゼルは、顔を青ざめさせた。
「おまえ、べーやん、お前、まさか…!」
「おや、どうかしましたか、アザゼル君」
「べーやん、なんて、ことを」
何かを言いかけたアザゼルにベルゼブブは笑ってみせた。
「うそやろ、うそって言ってや!」
「滑稽ですねえ。そんなにも気にいっていたならば手を出してしまえばよかったのに」
「べーやん!」
「何を言おうとも、もう遅いですよ、アザゼルくん」
歯車は既に動いてしまっているのだから、そう言って、にたり、悪魔らしく笑う。


「彼女は私に魂を売り払ってしまったんですよ」

*

古来、女が悪魔と契約するには悪魔と契る必要がある。それは極めて古典的な方法であり、近代化が進んだ今では滅多なことではそんなことはしない。とはいうものの、その方法は強ち間違いではないのだ。悪魔と契ることにより、その女の魔力は数倍、数十倍にも跳ね上がる。元々、女という生き物は神に見放された生き物であるためか、素養はいくらでもあるのだ。そうして、人間は悪魔と契り人を捨てた人間を魔女≠ニ呼び、蔑ずむ。

茫然自失と言った様子のアザゼルを置いて、ベルゼブブはアクタベの方へと歩いていく。彼はベルゼブブの姿を見て眉を潜め、
「―――どういうことだ。説明しろ」
端的にそう言った。ベルゼブブは微笑を浮かべる。
「元より、呼び出したのは貴方でしょうが、私と契約したのは彼女だということですよ」
「だから?」
「彼女の魔力は貴方を越えた、ただそれだけのこと。だからこそ私は貴方の結界の影響を受けない」
「俺を越える?そんな簡単に、」
「貴方とさくまさんの違いはわかりますか?同じく悪魔使い、そうして才能があるのも同じ、そう、そうだとしたのならば彼女にあって貴方にはないもの、すなわち」
そこまで言って、挑発的にアクタベを見る。

「彼女は魔女になった、ということですよ」

その言葉に、アクタベが目を見開いた。どうやら、その言葉に思い当たることがあったようだ。唇を噛む。

「――――――手を出したのか、お前」
「えぇ」
「それは、同意の上でか」
「契約という意味では同意でしょうね。けれど、もし彼女が同意しなければきっと……蠅となっていたでしょうね」
それはそれで、私の眷属となるから都合が良いのかもしれませんが、そういって笑みを持って答えれば、威圧感が酷かった。心の中で、冷汗。やはり、何度対峙したところでこの威圧感には馴れない。今にでも地獄へと逃げ帰りたいくらいに。その時、のんびりとした声が響いた。

「アクタベさん、コーヒーです」
言いながら、アクタベの机にコーヒーを置く。アクタベの威圧感に、なんとも思ってませんよ、というような顔。事実、彼女にとってその威圧感は馴れたものではるのだろう。いつだってアクタベは彼女にだけは破格の優しさをみせるのだから。
「……さくまさん」
「はい?」
「いいや、なんでもない。すまないが、買い出しに行って来てくれないか」
「買い出し、ですか?珍しいですね何か」
「なんでもいい。適当に欲しいモノを買ってきてくれ」
「はあ」
「いってらっしゃい、さくまさん」
笑顔で手を振り、見送れば不思議そうな顔をして「それじゃあ、カレーの材料を買ってきますね」と目を細めて事務所を出ていった。彼女の姿が見えなくなるのを確認して、ベルゼブブはアクタベに向き直る。

「さて、私は貴方とお話がしたかったんですよ」
「偶然だな、俺もだ」
「気があいますね、全く嬉しくないですが」
「俺もだ、安心しろ」

がたん、と音を立てて乱暴に立ちあがるのを横目にベルゼブブはどうしたものかと微笑えんだ。



「さて、状況を整理した方がよろしいでしょうかね」
ぼやくように、そうして限りなく目の前の男の苛立ちを煽るようにのんびりとベルゼブブは唇を開いた。
「何をそんなに怒っているんです?」
「……」
「貴方にとって、さくまさんはただの悪魔使い。体のいい下僕同然。これに何か異議は?」
「……」
「ないようですね。それでは次です。そうだとしたのならば、こうして悪魔使いとしての魔力があがるということは貴方にとっても悪くはない話だと思いますが」
「ベルゼブブ」
「おや、不服そうな顔ですね、アクタベ氏」
にこりと秀麗な顔に笑みを貼りつけて首を傾げてみせれば、目の前の男は鼻で笑った。
「お前は一つ、見逃している事実がある」
「なんですって?」
ベルゼブブの前にずいと出されたのはグリモアだ。……勿論、ベルゼブブの。それに目を細めたベルゼブブににんまりとアクタベはわらう。
「今、この場、グリモアを手にしているのは俺だ」
「そうですね。それで?」
「もしも、こうしたのならば、どうする?」
かちり、といつの間にか握られていたライターに火がともる。左手にライター、右手にグリモア。最悪の組み合わせだ。どうやら、彼の中でベルゼブブは抹消されるべき存在と認定されたようだ。
「さくまさんが悲しみますよ」
「記憶を無くせば問題はないだろう?」
「はは!悪魔のような男ですね、本当に!けれど、実に面白い!」
けたけたと笑う。
「今の貴方は、人間だ!ただの、嫉妬に駆られた男にしか見えない!非常に!非常に面白い!」
「狂ってんじゃねえのか、てめえ」
「……狂えたら幸せだったんでしょうね。アクタベ氏」
「……」
「好き、なんでしょう?」
「何が」
「彼女のことを」
さくまさんのことが、といえば静かな瞳で見返された。その瞳は雄弁に心の裡を語っていたけれど、そのままではまだ、足りない。だからこそ、その言葉を引きずり出すために最後の力を振り絞ってベルゼブブは言葉を紡ぐ。

「好きだから、怒ってるんでしょう?」
「あぁ、そうだ。――――――悪いか」
「いいえ、その言葉が聞きたかったんです。そうですよね……さくまさん」
「!」
流石にアクタベといえども、彼女がこちらを見ていたのには驚いたらしい。その隙をついて、アクタベのもっていたライターを奪い、


己のグリモアに火をつけた。

「な!」
「あぁ、良く燃えますねえ」

じわり、じわり、まるで己の身体が火に包まれていくような錯覚。ぐらぐらとする視界に思わず床に膝をついた。あぁ、なんて道化だ。ベルゼブブは笑う。けれどキミのためならばそれくらいの道化にはなれる。それくらいに、好きだった。それくらいには、好きだった。言わないけれど。言ってやらないけれど。

「さくま、さん」

これくらい、いいでしょう?貴方の願いがこれで叶うのならば上々。契約はこれで完了でしょうか。私的には問題がないんですがね、どうでしょう?おや、この方法はお気に召しませんで?


でも、すいません。いくらこのベルゼブブ優一をもったとしても、これ以外の方法は考えられなかったんですよ、ね、さくまさん。私だって惚れた女が他の男といちゃつく場面なんてみたくもなんともないですし。それに・・・・・・貴方も悪魔使いだというのならば知っているでしょう?悪魔に魅入られた人間は、悲惨な末路をたどるっていう話。けれど、そう、それが本当であるのならば、その悪者である悪魔≠ェ死んだらどうなるんでしょうねえ。正義のヒーローというにはアクタベ氏はあまり適任じゃなさそうですけれど。ま、そこらへんは置いておいて。きっと彼であれば幸せにしてくれると思いますよ。私には関係ありませんけれどね。――――――あぁ、それにしたって、なんていう顔をしてるんです。最後くらい笑ってみせてくださいよ。本当、貴方って馬鹿なひと、ですね。そんな馬鹿でどうしようもないノータリン女をどうしてこうも好きになってしまったのかな。ね、さくまさん、さくまさん、せめて、どうかしあわせ、に、な…




………



*


ぱたん、と頬に堕ちる水に覚醒した。

視界がぼんやりとする。まるで、今までが夢だったのかと錯覚するような感覚。気だるさを感じるのは、何故?見下ろし、そうしてぎょっとする。抹消されたと思っていたはずの身体が存在している。そんな馬鹿な。悪魔はグリモアを失ってしまえば存在をも消滅されてしまうはずだというのに、

「ベ、ルゼブブさん」
「……なんて酷い顔してやがる、このビチグソ女」
「酷い!酷いです、あんまりです!折角心配したのに」
「お前なんかに心配されるなんてベルゼブブ優一も舐められたもんだなあ、ふざけんな」
ぎゅう、と抱きついて離れそうにない佐隈に途方に暮れる。何故、彼女がここに居るというのだろうか。ベルゼブブの居なくなった後、彼女はアクタベと幸せになるはずだったので。そうしてめでたし、めでたしとなるはずだったのに、どうして。

「アンタは幸せになればいい」

そのために、こんなにも愚策を立てたというのに、どうしてこうも上手くいかないのだろう。ぼたり、と水が目から落ちる。きっと、佐隈の涙がうつったにちがいない。畜生、最後まで面倒かけやがってこのクソ女め、
「そんな泣きながら言われても、全然、迫力なんて、ない、ですよ」
「お前もじゃねえか」
「私はいいんです」
「なんだその理屈馬鹿じゃねえのか、ほんとうに」
二人して泣きながら罵倒しあうなんて、馬鹿みたいだ。

「ねえ、ベルゼブブさん。私のことが好きって本当ですか」
「誰がそんな血迷ったことを言うか、ついに頭まで」
「私も好きですよ」
「誰が、好きなんて」
「さっき魘されながら言ってましたよ」
「……」
「っていうか処女奪っておいて逃げるとか最低すぎますよ。いつも魔界の貴公子とかプリンスとか言ってるくせにそれはないと思います、ベルゼブブさん。ちゃんと責任をとってください」
「これだから処女は重いから嫌になるって言われるんです、」
「お願いですから、」
言葉の途中で、呼吸が止まるくらいに、抱き締められた。それを振り払おうとして、その腕が震えているのに気がついて言葉を止める。

「私の前から居なくならないで」

その言葉はどこまでも真っ直ぐで、切実だった。まるで愛の告白みたいだ。そう思って、それからどうすればいいかがわからない。こんな時、なんといえばいいのかがわからなくて、結局、

「………悪魔と契約する時には、イケニエが必要ですよ。悪魔使いなのにそんなこともまだわかってねえのか、馬鹿女」
「そうですね、じゃあ」
暴言しか出なかったというのに、彼女はただ笑うだけだった。そうして、簡単に言ってのけるのだ。



「私の一生、なんてどうでしょう?」





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