沖田総司という男はどうしてこうも土方に突っかかるのか!

あぁ、全く!と胸の内を荒らす嵐をあらわすように、自然、土方の足音が大きくなる。
ぎしぎしと土方の乱暴な歩き方に抗議するような廊下の音。本来であれば、そのような音を立てるというのは自分の居場所を晒すことにもなり特に土方のような職業を生業としているものにとっては死活問題だったが、それすらも今の土方には気にとめぬことになっていた。
今、胸の内にあるのは沖田の土方に対する態度が気に食わぬ、というただそれだけだ。近藤曰く子供の可愛い我儘だろう。お前に構ってほしいのだよということだったが、人に言われるがままに意見を鵜呑みにする男でもなければまた、どちらかといえば捻くれた性質であったがために近藤のその意見に簡単には納得できるわかがなかった。そもそも土方は、沖田総司という男を知りすぎている。総司は、昔から変わらないのだ。昔から、何かと土方に突っかかってくる。俺の何が気に食わねえんだと問いたい衝動に駆られるが、例え聞いたところであまりたいした答えなど帰ってはこないだろうとも思う。そもそも沖田は土方の質問にたいして明確に答えを出すというのであれば、このような事態にはなっていないのだから。万が一、沖田が応えたとしても土方はきっと沖田の希望通りにすることはできないだろう。はじめから無駄だということがわかっているのであれば、聞くのは無駄なことに違いない。

「あぁ、全く、畜生め」

土方は舌打ちをした。

あれで、剣の腕さえなければ多摩へと送り返してやるというのに!
―――けれど皮肉なことに、沖田の腕は新選組という組織の中で突出している。剣の腕、強さだけでみるならば経験などを多く積んでいる永倉には負けるが、若さ、そうして将来性を考えるというならば沖田は新選組になくてはならない存在である。また、本人はあまり真面目とはいえないが、確かに沖田には才能というものがあるに違いないのだ。初めて人を斬った時。平然とした顔をしていただけではなく「汚いのはあまり好きじゃないんです」と返り血を一切浴びずに飄々とした顔でそういって刀の血を払っていたのを見て、正直、土方もぎょっとしたのを覚えている。ふと昔を思い返し、土方は溜息を吐いた。今も昔も、あまり変わっていないのはいいことなのか、悪いことなのか。

「土方さん?」

闇の中、声を掛けられて土方は振り返った。自然、右手を剣の柄へとやったのはきっと、本能に近い何かだ。誰だ、と問う間もなく暗闇から少女が出てくる。盆にいくつもの湯呑みを乗せていた彼女は目を丸くする。

「どうしたんですか?まだ広間に居たんじゃ」
「俺は忙しいんだよ」

沖田と言い合いになり出てきた、とは言いにくくふいと顔を逸らした土方に千鶴は「そうですか」と納得したように数度、頷く。そうして、土方を見て、首を傾げた。

「それでは、後でお茶を運びますね」
「……」
「土方さん?」
「お前は、」

ふと千鶴は沖田と違って、何も言わないことに気がついた。何も思わないわけがないだろうに。こちらの勝手な理論で屯所に軟禁して、そうして働かせて。隊士とは違う扱いに、不平や不満がちらほらと洩れていることも土方は知っていたけれども、そうして嫌がらせを受けていることだって知っていたけれど、彼女は何も言わない。ただ申し訳そうな顔をして頭を下げて、そうして微笑に全てを隠す。それは、どんなにか辛かろう。

「―――――――辛くないのか?」

問わずにいられなかったのは何故だろうか。問うて、そうして「辛い」と返された所で土方はどうすることもできないというのに、だからこそ今まで聞いたことがなかった疑問。そうだというのにどうして、こんなことを聞いてしまったのだろうか。けれど、後悔したところで一度、出てしまった言葉はなかったことにすることはできない。土方は千鶴の顔を見て、そうして返事を待った。あの土方さん、千鶴は唇を開いた。

「何が、ですか?」
「何がって」

きょとんとした顔をされ、そうして返された言葉に土方は唖然とした。何がって、生きていれば辛いことなどいくらでもあるだろう。そもそも、この屯所に軟禁されて、無理矢理働かされて、そうして、

そもそもの話、軟禁を決めたのは土方だ。彼女の意見などは聞かずに、勝手に決めた。そうである必要があると、そう思ったから。その判断に今も間違いはないと思っている。けれど、もうすこしやりようがあったのではないかとも、思っている。彼女は土方を責める権利があって、そうして土方は、彼女の恨みごとを聞く義務があるわけで。

「辛いことのひとつやふたつはあるだろうよ、こんな男だらけの所に軟禁されて、それで不平が出ないわけがねえだろ」
土方の言葉に、千鶴は数度、瞬きを繰り返した。
「……そんなこと、考えもしませんでした」
思いもしなかった言葉に、土方は呆気にとられる。
「は?」
おもわずぽかんとしたような顔をして、土方は、千鶴を見返す。
「確かに、初めは少し怖かったんです。旅をしている間にも、新選組の噂はいくつも聞いていて、そうしてそのどれも、怖いモノばかりで。そんな人達に捕まって、それで殺されるかもしれないっていうんですもの。怖くないわけがないでしょう?」
怖い、といいながらもどこか千鶴は楽しそうにすら見える。土方の物言いたげな顔に気がついたのか千鶴は微笑って言葉を続けるために唇を開いた。
「けれど、なんだかんだとこうやって一緒に過ごさせて戴いて、考え方が変わったんです。世界が広くなったっていうか……今が、とても楽しいです」
「楽しい、だと?」
土方の言葉を肯定するように、千鶴は微笑えんだ。その笑みを見る限り、彼女はどうやら心の奥底からそう思っているらしいと気がついて土方は思わず笑いを止めることができなかった。
「土方さん?」
声をあげて笑うことなど、あまりない。彼女は初めて見ただろう、土方の姿に目を丸くしている少女を見て、更に笑いが込み上げてくる。見た目はこんなにも儚げだというのに、どうしてこんなにも肝が据わっているというか、なんというか。ようやくおさまりかけた笑い。くく、と喉でわらい、土方は顔をあげた。

「なんだかんだと、江戸の女だな」
土方の言葉に、千鶴が困った顔をした。
「それは、褒め言葉でしょうか」
「勿論。褒めてんだ、素直に受け取っておけ」
「はあ」
生返事、曖昧に首を傾げたのはいつもの彼女だ。土方は笑んだ。彼女のような女は、嫌いではない。むしろ、好ましいといえる。先程の荒れるような気持ちはいつの間にかどこかへと行ってしまって、そうして今、土方に残るのは穏やかな、凪だけだった。





今思えば、それが恋のはじまり
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