「なんとなく、嫌な予感がしたから帰ってきてみれば……」
普段よりも厳しい口調でそう言った斎藤さん…じゃなくて、一さんは私を見て怒ったように押し黙った。


斗南の冬は厳しい。そんなことは百も承知でついてきたが、実際は色々と気がつかぬうちに無理をしていたらしい。ある朝、目が覚めるとほんの少し体がだるかった。
(あぁ、この感覚は…)
そう思いながらも、けれども何食わぬ顔で起き上がり朝食を作ったのだけれど。どうやら風邪で、味覚が麻痺していたらしい、食事の最中に(確か、一さんが味噌汁を飲んだ時だった気がする)箸を止めたかと思うと私の顔をじっと見て「風邪をひいたか」と一言。そうして、強制的に布団の中に押し戻されたのだ。仕事に行く時間になっても、傍から離れようとしない一さんを家から追い出し、先程まで一人で寝ていたのだけれども。ふと目が覚めると夕方になっていたから、もう少しで一さんが帰ってくると思って起き上って、夕食を作って(多少味が濃かったりしても多めにみてもらおう)いる所に、いつもよりも早い時間に帰ってきてしまった一さんに見つかった。
そうして、冒頭に戻る。

「一応、聞く。何をしているんだ」
「夕食を、作っていました」
いつもよりも機嫌が悪い一さんに私は取り繕うように笑みを浮かべた。そんな私に、一さんは、眉間の皺をますます深くする。
「あ、あの、一応先程まで寝ていたんですよ?風邪といっても咳もありませんし食事を作るくらいなら平気かなぁって」
「俺は昔、自分の体を過信しすぎるなと言ったが?」
覚えていないのか、と言った声色があんまりにも怖すぎて身を縮こまらせる。
「す、すいません…」
「謝るくらいならばするな」
「あ、でも後ちょっとで出来るんで待っていてください」
「…………千鶴」
お前、俺の言ったことを聞いていなかったのかといわんばかりに先程よりも低い声で名を呼ばれて、びくりと体を揺らす。あ、もしかして怒りました?そうですよね、怒りますよね。でもあとちょっとで出来るのに。くつくつと良い匂いをしている鍋を見ていれば、ふいに体が浮いた。え。
「さ、斎藤さん!何を」
「……」
いきなり抱きかかえられたこおに動転した千鶴の言葉に、むっとした顔をして黙り込んでしまう。拗ねたようなその顔に何をやってしまったかと考え、そうして「…一さん」と名前を呼びなおす。それで、ほんの少しだけ機嫌がなおった。あぁ、全く…子供っぽい(そんなところも好きだけれど)
「なんだ、千鶴」
「いえ、ですからおろしてください!…あと少しで出来るのに」
「あとは俺がやる。だから、お前は寝ていろ」
「で、でも」
「お前は、俺が何も出来ないと思っているのか?」
「い、いえ。そんなことは」
布団の上に下ろされてしまったので、しぶしぶ己の体を横たえればようやく一さんはほっとした顔をする。掛け布団を肩まで引き上げると、額へと手を乗せた。そうして、渋面を作る。
「……朝よりも熱があがっている」
だから大人しく寝ていろと言ったんだと説教を始めた一さんに私は思わず笑ってしまう。あぁ、大切に思われているなぁって思うと嬉しくてたまらなくて。そんな私に一さんはむっと怒ったような顔をした。
「……何故、笑っている」
何も変なことは言っていないだろうと言った一さんに私は「不謹慎だとはわかっているんですが、心配してもらえるのが嬉しくて」と目を細めた。その言葉に一瞬、一さんは瞠目したのだけれどすぐに表情を和らげた。そうして徐に私の頬の輪郭をなぞるように指を動かし、顔を覗き込む。その瞳の中にほんの少し熱がみえた気がして、息を飲んだ。一さん、と言った私の声にこたえるように一さんの唇が私のそれに近付いて…触れる寸前で、慌てて手を挟んだ。むっとしたような顔をした一さんに、私は「風邪がなおるまではダメです」と溜息。うつってしまったら、それこそお笑い草だ。
「その時は、千鶴が看病してくれるのだろう」
ほんの少しだけ甘い声色に身を竦めた。普段は、口説き文句のひとつを言うのも四苦八苦してるくせにどうしてこんな時ばかりすらすらと言うのだろう。
「えぇ、その時は喜んで。でも、お鍋も先程のままになっているから今は駄目です。それとも、やっぱり私が料理をやりましょうか?」
そういって体を起こそうとした私に、一さんはそれをとどめた。そうして、深い溜息を吐いたかと思うと立ち上がる。

「――――――後で覚えていろ」
……ほんの少しだけ怖かった。



「千鶴」
名前を呼ばれて、うつらうつらと夢と現実の間を漂っていた私は目を覚ました。ふんわりといいにおいが鼻腔をくすぐる。鍋の様子を見に行った一さんが、出来あがった料理を持ってきてくれたのかと起き上がり、私は首を傾げた。
「……あれ、雑炊ですか」
確か、自分が作ったものは違うものだったはずなのだけれど可笑しいなと思っていると、一さんは呆れたような顔をした。
「あれを食べて、すぐに寝たら胃もたれするだろう」
「もしかして、わざわざ作ってくれたんですか?」
「そんなに手がかかるもんじゃないからな」
そう言いながら、一さんは雑炊の入った碗をとりあげ、掬ったそれを私の口元へと運んだ。何を、と戸惑った視線を向ければ、にやんと意地悪く笑う(あ、今、沖田さんを思い出した)
「ほら、口をあけろ。食べさせてやる」
その言葉に私は理解して、深く溜息を吐いた。
(……成程。“覚えていろ”とはこのことですか)
案外子供っぽい人だということは知っていたがまさか、こんなことをしようとするとは。人はみかけによらないというか、なんというか。屯所に居た時からは想像もつかない。
「千鶴」
はやく、といわんばかりに名前を呼ばれ、私は渋々口をあけた。一度こうすると決めたら、覆すことはしない人なのだ。口に入れられた分を咀嚼して、飲み込んだのを見た一さんはほっとしたような顔をした。(そんな顔をみせられたら、食べないわけにはいかないじゃないですか)結局、私が自分で食べることは赦されずに全部食べさせてもらったのだけれど。薬を飲んで、そうして横になった私に一さんは水で冷やした手拭いを私の額に置きながら「昔を思い出す。これも、変わらないな」と笑った。他に何かしてほしいことは、と言われたから私は手を差し出して、強請ってみせる。

「手、握ってほしいです」

ひやりとした温度の掌に、私は微笑んだ。





(この人を好きになって、よかった)
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