「不知火さんはいいひとですね」
ほわほわとした笑みで言われた言葉に一瞬詰まって「……何言ってんだ」と呆れたように返したのは正しいと思う。一瞬詰まった理由は、きっと昔“友人”に言われたのと同じ台詞だったからで、それ以上でもそれ以下でもないはず。千鶴は穏やかに笑って、そうして空になった杯に酒を注いだ。洗練された動作だ。これだけみれば他の芸者達と変わらぬと思うほどに。不知火の視線に気がついたのか、千鶴は顔をあげ「なにか」と笑みを浮かべた。その仕草が妙に艶を含んだもののように見えて、一瞬、息を飲む。
「……。俺は鬼だぞ?ひとじゃない」
突っ込みどころはそこではない気がするが、言葉が出てこなかった。
「あぁ、では良い“鬼”なのですね」
平然とそんな事をいうのは彼女もまた鬼だからか、それとも彼女が彼女であるが故なのか。「お前、お人好しとか言われないか」
たぶん後者だろうとそう唇を開いた不知火の言葉に千鶴はきょとんとした顔をすると「何でわかるんですか」と不思議そうに首を傾げた。その様子は年相応で、思わず不知火は噴き出す。喉奥で笑えば馬鹿にされたと思ったのか千鶴は頬を膨らせた。そんな姿は、芸者の姿とはちぐはぐで…何故だろう。作りものめいた芸者よりもこちらの方がよほど好感が持てると不知火は目を細める。軽く額を指で弾き「仕事ならちゃんと酌をしろよ」と空になった杯を顎で示す。何をするんですか!と初めこそ怒っていた千鶴だけれど、空になった杯をみるとわかりました、と素直に頷いて銚子をもつ。そんな千鶴に不知火は苦笑する。
「理不尽だーって怒ってもいいと思うが」
「理不尽な事はもっといっぱいありますから…沖田さんとか沖田さんとか沖田さんとか」
「…沖田って一番組の組長だっけ?」
飄々とした笑みを浮かべている男を思い浮かべれば千鶴は曖昧な表情を浮かべた。
「強いんだろ?」
「ええ、とても」
「それなら、いつか見える日が来るかもしれねぇなァ」
楽しみだ、そう言いながら杯を煽った不知火に千鶴は眉を顰める。その表情が気にかかって「なんだよ」眉をあげれば千鶴は淡く笑んだ。
「私が言った強い、はそういう…力が強いとか、そんな意味ではなくて」
「じゃぁ、お前の本当に強いってなんだよ?」
興がむいた不知火の言葉に千鶴は逡巡する。
「本当に強いひと、というのは信念を持っているひとだと私は思います」
その言葉に、不知火は瞠目する。こんな小さな子供から出る言葉ではないと思ったのだ。じ、と千鶴を見つめる。遊郭特有の薄暗い灯りがつく部屋の中、千鶴は妓らしからぬ(といっても彼女は妓でもなんでもないから当たりまえなのだろうけれど)まっすぐな光を持って不知火を見つめていた。己が口にしたことが間違っていないというように。その様は子供ではなく立派な“女”のもので。まだまだ子供だ、と思っていたのはどうやら不知火の思い違いだったようだ。
(――――――面白い)
不知火は笑う。確か、不知火が出会った時、千鶴はまだ子供だった。ただ、守られるだけの小さな子供。それがいつの間にか“女”となった理由は新選組の奴らなのだろう。彼女をここまで変えた新選組に、不知火は興味を持つ。ぐ、と杯を煽ればその様子を見ていた千鶴が銚子を持った。とくとくと透明な酒が朱色の杯に注がれていく。ゆらゆらと波打つ水面に映るのは格子の隙間から見える満月だ。
「たまには、こんな夜もいいもんだ」
不知火は口端をあげ、月を喉に流し込んだ。




可もなく不可もなく毒もなく
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