「間違えるなよ。別にお前は隊士でも何でもねえんだからな」
土方の言葉に千鶴はほんの少しだけ寂しそうな顔をして、その顔を見せないようにと顔を伏して「わかっています」とそう言った。どこか気落ちしたようなその姿に心を痛めないでもないが、けれども土方も譲ることはできなかった。だからこそ土方は己の部屋を言葉少なに立ち去った千鶴にも何も声をかけずに見送った。最期の一線。それを越えてしまえば千鶴は“新選組”の一員となってしまう。土方がこんなことをしても既に、遅いのかもしれないけれど。もう今ではこの屯所の中に彼女の姿が見えないだけで隊士達はざわめく。何でこんなことになっちまったんだか、と書類を目の前に思わず大きな溜息を吐けば「溜息ついて、眉間に皺ばっかりよせていると幸せが逃げちゃいますよ」という言葉が降ってきた。
「……総司」
人を食ったような性格の男は、土方を見下ろしてにやにやと笑っている。その様子では、先程の千鶴とのやりとりを見られていたということだろうか。
「何の用だ、俺は忙しいんだ」
「あはは、休憩下手な土方さんのために僕がわざわざここに来てあげたんですよ」
「嘘吐け!どうせお前、またアレを…」
「アレ?アレって何のことかなあ」
「〜〜〜!もういい!」
総司が土方の句集を持ち去り、よくそこに書かれている唄を大声で読み上げるのは日常茶飯事だ。


「ねえ、土方さん」
「なんだよ」
「嘘っていうものは、自分のためにつくものだと思いましたけれど?」
総司が先程のことをいっているのだと気がついて土方は溜息を吐いた。厄介な相手に見られたものだと。
「彼女はもう既に新選組になくてはならない存在になっている。それは変えられない事実で、もう捻じ曲げることはできませんよ」
「鋼道さんが見つかれば」
「本当に見つかると思っているんですか?」
「総司」
土方は窘めるように名を呼べばやれやれといわんばかりに沖田は肩を竦めて見せた。雪村鋼道が反幕府派と行動しているという情報は土方の耳にも既に入っている。それは確かなものとはいいきれないが、それでも決して信じられない情報でもない。それを誰かに聞かれてしまえばきっと千鶴の立場は悪くなるだろう。
「そんなに大事にするぐらいならば自分のものにしてしまえばいいんですよ」
「何言ってやがる」
「女の一人や二人、別に普通だと思いますけれど?」
「この忙しい中、なんでそんなことに俺が時間を割かなくちゃいけねえんだ」
「どの口でそんな事いうんだか」
総司はからからと笑い、そうして立ち上がった。そうして襖に手をかけた所で、振り返る。まだ用があんのか、と半眼になった土方に苦笑を浮かべて総司は唇を開く。
「ね、土方さん。やっぱり嘘っていうのは自分のために吐くものだと思うんですよ」
「何が言いてえんだ、てめえは」
「だからね、例えば」


「千鶴ちゃん、僕が貰ってもいい?」


一瞬、何を言われたかがわからなくて思考が止まる。何かを言おうと口を開き、そうして閉じる。そんな様子を見ていた総司は「ほうら、やっぱり」と口端をあげた。

「答えが出ているくせに、動かない土方さんは臆病者なだけですよ」
頭を殴られるような衝撃が襲った。何も言えずにいる土方を総司は一瞥するとするりと外へ出て行く。その後ろ姿を見送り、土方は机の隅に置かれているほんの少し冷めたお茶へと手を伸ばした。

いつか。

いつかきっと千鶴は幸せになるんだろう。きっとその隣にいるのは自分ではないことを土方は知っている。ぐ、と茶を流し込みいつもよりもほんの少し苦い味に顔を顰めた。千鶴が見知らぬ誰かと幸せになる姿を見たくないと思う土方は、きっと誰よりも自分勝手だ。





手前の身勝手など一笑に付して頂戴
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