泣きっ面に蜂とはこのことだろうか。
不幸は続くものだとよくいうけれど、まさかわが身に降りかかってくるとは思わなくて千鶴は肩を落とした。なんとなく、その日は何かと調子が悪かったのだ。小さな失敗を重ねて、重ねて。そんな千鶴を見かねたのだろう、近藤は千鶴にすぐ傍の和菓子屋でまんじゅうを買ってくるようにとそう言った。まんじゅう云々はきっと建て前で、近藤は千鶴に気分転換をさせたかったのだろうと思う。気を使わせてしまったことに申し訳なくなる半面、気にかけてくれる事が嬉しいなあとそんな不謹慎な事を考えたからバチがあたったのかもしれない。早く帰って、御礼を言おうとそう千鶴が思った所で「そこのあなた」と声をかけられた。足を止め、振り返るとそこには美しい妙齢の女性。

「貴方、土方先生の小姓さんよね」

ふわりと良い香りがする女の人は私をみて花が咲いたような、そんな笑みを浮かべた。敵意とか、そういったものは感じない。どう対応して良いかがわからず曖昧に頷けば、その人は嬉しそうな顔をして手元から「これを」と紙を手渡した。
「これをあの人に渡しておいてくださるかしら」
「え、でも」
「お願いね」
戸惑う千鶴に手紙を押しつけると、その人は人ごみに消えて行ってしまった。どうしよう。どうしようも何も渡せと言われたのならば渡せばいい。何も考えることなく、渡せるはずだ。それなのに、どうしてだろう。何故か渡したくない気がした。ふわりと白粉の香がして複雑な気持ちになる。そんな自分に気がついて、千鶴は余計に自分が嫌になった。



「あれ、千鶴ちゃんだ」
屯所へと帰った千鶴にいち早く声をかけたのは沖田だ。顔をあげ「こんにちは」と頭を下げれば沖田は千鶴の周りへと視線を向け、そうして眉を寄せた。
「一人で外へ出たの?」
「頼まれ物をしたんです」
そういって手元のまんじゅうを見せれば沖田は表情を和らげて「なんだ、近藤さんに頼まれたんだ」とそう言った。それから、ふと視線を千鶴の手元へとむけると首を傾げた。
「それ、なあに?」
「あ」
慌てて、隠す。けれども隠すのを見越したかのように一足先に千鶴の持っていた手紙をとりあげる。
「か、返してください!」
「だーめ、密書だったら困るもの」
「そんなことないです!」
「えーと、何々。土方歳三様へ…って。なにこれ。千鶴ちゃんから土方さんへの恋文?」
「違いますよ!!先程、綺麗な女の人が土方さんに渡してくださいって私に……」
そこまで言って、千鶴は唇を噛んだ。何でだろう。胸がもやもやする。あと少し、何かあれば泣きそうな気がする。そんな千鶴を知ってか知らずか沖田は「つまらないの」と唇を尖らせると千鶴をちらりと見てほんの少しだけ思案するような顔をした。そうして、頬を思い切りつかむ。
「!!!」
「あはは、ぶさいくな顔!」
「酷っ!酷いです、沖田さん!あといひゃい!」
最後の方は遠慮なく横に伸ばされたせいではっきりとした言葉を発することが出来なかった。それにしても本当に容赦ない力だ。今度とは違う意味で涙が出そうだ。

「泣いちゃいなよ」
心なしか、いつもよりもほんの少しだけ優しい声に千鶴は弾かれたように顔をあげた。
「辛い、とか痛い、とか。我慢せずにきちんと表現して良いんだよ。そうしないと、心が死んでしまうからね」
そう言って頬をつねっていた手を離すと千鶴の頭を撫でた。じわり、とその言葉に涙が出てくるのを感じた。慌てて、空を向いて涙を抑えようとしたのにそれを妨げるように沖田は千鶴を引き寄せると頭を叩く。

「いい子、いい子」

ぽんぽん、と頭を軽く叩かれ(彼からすると撫でる、だろうが)その動作で涙がこぼれる。ぽろぽろと大粒の涙が零れて、境内の砂を濡らす。一端泣き始めてしまえば、止めるのは至難の技だった。

「総司!」

千鶴が泣き始めていくらか経たずに、誰かの怒鳴り声が聞こえたかと思うと千鶴の体が沖田から引き離された。泣きはれた目に映ったのは紫。ひじかたさん。名を呼んだはずの声は掠れてしまった。
「てめえ、何千鶴を泣かせてやがる!」
「いやだなあ、そうやってすぐに僕を悪者にしたがるんだから。僕は別に泣かせてなんかいませんよ。ねえ?」
慌てて頷けば「嘘吐くんじゃねえよ!じゃあ、どうして千鶴は泣いてんだ!」と土方の声が聞こえる。このままでは沖田が千鶴を泣かせたことになってしまうと慌てて土方の袖を掴み、訴える。
「お、おきたさんは悪くないんです…その、私が…」
何て言おう。
土方さんあてに恋文を貰ってもやもやした、とか。なんだか良く解らないけれど胸が痛い、とか。自分でもわけがわからないのに、それを他人に説明できるわけなくて。押し黙った千鶴にそら、みたことかといわんばかりに土方は沖田を睨んだ。
「前々から思っていたが、お前、千鶴に突っかかりすぎなんだよ!」
「あれ、嫉妬ですか?やだなあ、大人げない」
「てめえ、ふざけた事ばかり抜かしていると…」
「どうなるんですか?…あ、千鶴ちゃん」
沖田の声に顔をあげれば、持っていた包を取られる。これ、近藤さんに渡しておくから、と言い残すと沖田は去って行った。まるで嵐のような人だなあ、と思いながら見送っていると「で?」と土方は千鶴に尋ねた。
「何で泣いていたんだ。総司が何かしたのか?」
慌てて首を振る。声を出そうとして、掠れて声が出ない千鶴を見て土方は溜息を吐くと千鶴の手を引っ張った。



連れてこられたのは、土方の自室だ。お茶をいれてきます、と立ち上がりかけた千鶴に「その顔で出て行かれたら俺が泣かせたみてえだろ」と溜息を吐いて、土方は外へと出て行ってしまった。しん、とした部屋で千鶴は先程の事を考える。何で、あんなにももやもやした気持ちになるのだろう。今日は一日、なんとなく朝から運が悪くて、それで、帰り際にとても綺麗な女の人から土方さん宛ての恋文を貰って。
なんだか、この気持ちは吉原で土方さんと君菊さんとが横に並んでいるのを見ていた時と似ている気がする、と千鶴はぼんやりとする。ぼんやりとしているうちに、段々と眠く、なって…



誰かに髪を梳かれるのを感じて、目を覚ました。ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返して、それをしているのが土方であるのを見た瞬間、目を見開き慌てて体を起こした。
「す、すいません!寝てしまっていたみたいで」
「本当だな、新選組の鬼副長の自室で居眠りたあ、いい度胸だ」
言葉とは裏腹に、声色は優しい。けれど、物凄く居たたまれなくなって千鶴は体を縮こまらせた。
「本当にすいません…」
「疲れてたんだろ。それくらいで俺は別に怒りはしねえよ…ほら、横になれ」
横になると、からりと笑うと土方は用意していたであろう水にぬれた手ぬぐいを千鶴に渡した。
「少し腫れちまってるが、これで冷やしてれば元に戻るだろ」
そういいながら千鶴の目元に手ぬぐいを当てる。ひんやりとする手拭いにほっと息を吐いた。落ち着いたのを見計らって、土方は唇を開いた。
「何であんなに泣いていたか、聞いていいか」
「……あ」
その言葉に、ふと預かっていた手紙を思い出し、慌てて袂から取り出し、土方に渡した。
「――――――これを、預かっていまして」
「は?誰から」
「知りません」
事務的に答えたつもりだったのに、まるでそれが子供が駄々をこねるようなものに聞こえた気がした。かさり、と手紙を開く音が聞こえたかと思えばすぐさま溜息が聞こえる。
「……これが原因なわけ、ないしな…」
「え?」
「なんでもねえよ」
ぽつりと呟いた言葉が聞き取れなくて千鶴が聞き返せばすぐに誤魔化すような返事が返ってきた。
「それより先刻、菓子を貰ったんだ。お前も食べるだろ?それを食ったらさっさと笑え」
「…子供扱い」
「泣き疲れて眠るだなんて餓鬼じゃねえか」
「……」
「そう言われてむくれる内はまだ餓鬼だ」
そう言って笑い、わしゃわしゃと髪を掻き雑ぜられ、手ぬぐいを退けて起き上がった。ああ、大きいなあ。その手が温かくて、優しくて、心地よくて、目を閉じる。
「千鶴?」
「なんだか…父様の手と似ています」
「は?」
「大きくて、あったかくて…安心します」
へにゃりと笑って千鶴がそういえば、土方はなんともいえない表情になった。そうして、溜息。
「さっさと食べて、帰れ」
どこか疲れたような言葉に何か不味いことを言ってしまっただろうかと千鶴は首を傾げる。先程のもやもやとした気持ちはほんの少し小さくなっている気がして、土方さんの手はいつか父様から聞いた“まほう”のようだなあと、小皿に乗った砂糖菓子を頬張りながら千鶴は頬を緩めた。土方さんの 淹れてくれたお茶に、心が温かくなるのを感じた 。もちろん、




総ては悦劇的な被害妄想に倒る
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