雪村千鶴という少女は、いわゆる“いい子”だ。きっと彼女は昔から大人しく、保護者から言われたことは素直に「はい」といって頷いていたのだろう。物心ついてから片親だったといっていたから、それも仕方がないとおもうし、あとは、千鶴の元からの性格でもあるのだろうと土方は考察する。そんな良い子な彼女を見ていると、土方としてはそんなに良い子である必要はねぇんじゃねえか、と思うわけで。そもそも土方は今でこそ落ち着いてはいるが、昔はかなりやんちゃをしていた。総司に対して文句を言うたびに近藤に「いやあ、でも昔のお前よりは良い子だぞ」と笑われる始末。今でこそ笑い話ですますことが出来るが、土方は総司の悪戯とはまた違った意味で“悪名”を轟かせていたわけで。

「なんで顔を見合わせた途端にその話になるんだよ、近藤さん」
ばつの悪い表情を浮かべ、土方が居心地悪そうにしていると近藤はからからと笑い声をあげた。
「トシはこの話になると途端に大人しくなるなあ」
「よしてくれよ、近藤さん。それはもう昔の話だろう、今は違う。…それにしても、久しぶりに会ったと思ったら何でそんな話をするんだよ」
先日まで近藤は会津藩へと出向いていた。表向きは報告のためだが、実際は対長州藩のための武器などを調達するためだ。近藤が屯所から帰ってからすぐさま土方の部屋へと来たので、何か問題でもあったのだろうかと思ったのだが。
「うむ、そのだな、トシ」
近藤はどう切り出したものかというような素振りをみせ、ちらり、と盆に置かれている湯呑みへと視線を彷徨わせた。湯気をたてているソレは千鶴が持ってきたものだ。
「―――――雪村君の、ことなんだが」
「……なんだよ」
「その、もうそろそろ、解放してやるわけにはいかないのかな」
「悪いが、そりゃあ無理だな。鋼道さんのことだけならまだしも、アイツは新選組の内情を深く知りすぎている」
「いや、だから、そうではなくてな」
言葉を濁しながら、なんといえばいいものか、と一人で唸っている近藤に土方は眉をよせる。近藤はどちらかといえば歯に衣を着せぬ言い方を好む(好んでいるわけではなく、彼がそのような言い方しか出来ぬのかもしれないが)というのに、どうにも釈然としないというか。
「何だよ、歯の奥に物がつまったような言い方、近藤さんらしくねえぞ」
「あぁ…うん、そう、そうだなあ」
近藤は何を思ったのか、土方へと向き直り、じ、と土方の瞳を覗き込む。まるで嘘をひとつでも見透かすまいというように。

「トシ、折り入って話があるんだ」
「…………何だよ、近藤さん」
「解っているかもしれないが、雪村君の事だ」
「だから先刻も言っている通り……」
「わかっている。確かに、彼女は身寄りが他にあるわけでもないし、私も放りだしてしまえとは言っていない。だから、要するに」
「要するに」
「隊士の中の誰かと結婚したらどうだろうか、ということなんだが」
「………………は?」
「よくよく考えて見れば、雪村君ももう年頃だ。そんな中、この男だらけの屯所にうら若き乙女を置いておくなどということは本来ならば罷りならん。確かに、彼女は十分に反幕府派から狙われる要素は十分にあるし、それに鬼の連中だって…」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、近藤さん。婚姻を結ぶって言ったって、誰と結ぶっていうんだ。総司の奴は、確かに千鶴を気入っちゃいるが総司が旦那になるのは流石に千鶴が可哀想だろう。それとも、斎藤か?いや、でもあいつは新選組の中でも一番危険な仕事を請け負うことがおおくて、正直な話、隊の中では一番、いつ死んでも可笑しくないだろう。そんな奴が旦那だなんて、あんまりにも千鶴が可哀想すぎるだろうし」

「ふむ、それなら…永倉君はどうだい?実質、剣術だけみれば総司よりも強い」
「あの大酒飲みが女に気を使えるわけねえだろ」
「それでは、原田君はどうかね。いつも気を使って、周りを気遣ってくれるようだし」
「……原田の場合は引く手数多で、女たらしじゃねえか」
「――――では、平助はどうだい?」
「……平助には悪いが“守る”というのには力不足だろ」
「……」
「何だよ」
「あぁ、いや」
そういうと、近藤は「そうか、そうか」と(何か嫌な予感がする)笑った。ようするに、と近藤は穏やかに言葉を続ける。
「総司よりも剣が強くて、死ななそうで、酒を飲まなくて、周りに気が使えて、浮気をせず、強ければいいっていうことだな?」
「まあ、そういう相手であれば大丈夫だろう」
「それなら適任がいるじゃないか」
「は?どこに?」
にっこり、そんな形容詞がつくのではないくらいに満面の笑みを浮かべて近藤は土方を見た。

「要するに、トシが相手ならば問題はないということだな」
「……は?」
「うん、そうだな。上々だ。そうしよう、トシの事も俺は心配だったんだ。丁度良い。お前はいつも新選組のことばかり考えていたし、少しは気を抜くことを考えるのもいいだろう?」
土方がどうやって近藤を止めようかと考えつく前に近藤は意気揚々と立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、近藤さん!」
「何だ、トシ。そもそもお前が言いだしたんだろう。総司より強くて、金遣いが荒くなくて…」
「俺達の都合で千鶴にそんなものを押しつけるわけにはいかねえだろうよ」
「あぁ、雪村君ならば“不束者ですが、貰って下さるのならば精いっぱいお仕えいたします”という返事をもらっているが?」
なんというか、実に千鶴らしいような気がしたのは土方だけだろうか。はあ、と土方は溜息を吐いた。
「……いいか、近藤さん。千鶴は“軟禁”されているにも関わらずに“迷惑になっているのに置いてもらっているので感謝している”と言い切るやつだ。それに、いい方は悪いかもしれねえが、まだ子供だ。そんな“恩ある”相手に結婚だなんだと言われりゃあ、そりゃあ断れねえだろうよ」
「む」
やはり人が良いのか、近藤は戸惑ったように視線を揺らした。
「確かに婚姻の案は良作かもしれねえが、まだ時期は尚早だ。それに、鋼道さんが見つかった時に何といえばいい?巷で噂になっている人斬り集団に軟禁した揚句にそいつらの内の誰かと結婚してキズものにしてしまいました…そんな事になろうもんなら、幕府から何言われるかわかったもんじゃねえぞ」
「それは…困るな…」
「そうだろう。それに」
「……それに?」
「ああ、いや。まあ、これはいい。とりあえず、その案は保留だ。もう少し、千鶴の様子を見た方がいいだろ」
「そ、そうだな!…あ、そうだ。山南君に呼ばれていたので、もうそろそろ失礼するぞ」
「おう」
そういって慌ただしげに土方の部屋を立ち去った近藤を見送ると深々と土方は溜息を吐いた。何だかとても疲れた。まるで3日ほど寝ずに仕事をしたような疲れが体を襲う。違うのはその時にある達成感がないかいなかである。ぬるくなった茶に手を伸ばし、喉へと流し込む。先程の近藤の提案をどうやって潰すべきかを考える。彼女の幸せは決して此処にはないはずだ。

「―――――――アイツは幸せになるべき女だ」

一般的に言う女の幸せ、というものが土方にはどんなものかはわからない。結婚して、子供を産んで、夫婦仲は仲良くて。そんな在り来たりなものかもしれないし、そうではないかもしれない。けれど、ひとつだけは明確にわかっている。決して、彼女を幸せにするのは血塗れたこの手ではないはずだ。





さよならを赦したのも、愛
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