夢は現とはなりえぬもので、夢は現になりえぬからこそ美しい。
世界は汚く、醜いものばかりで溢れている。だからこそ、人は夢をみることで現実逃避をするのだ。日々を生きるために、人は夜に眠る。それはきっと休息なんてものではなくもっと生々しいものから逃げるための逃避行動。人間とは、即ち、逃げ続ける獣なのだと沖田はそう思う。

そんな中で、雪村千鶴という少女は沖田にとって悪夢のような存在だと言いきっても過言ではない。
剣なんて握ったことのない真っ白で柔らかい掌に、それと同じくらいに柔らかな心、優しさ。それを体現するような微笑。そこにいるだけで存在を認められていたのだと、大切に育てられてきたのだといわんばかりのその少女の存在に、はじめ、沖田はイラついた。
己とは全く違う存在。正反対といってもいいだろう。
沖田は、存在してはならぬ人間だった。昔を思い返す度に、沖田はそう思わざるをえない。こんなことを言おうものならば沖田を育ててくれた己の姉に叱られるかもしれない。けれど、姉は沖田のせいでいつもいらぬ苦労ばかりをさせられてきたとも思うのだ。早くに親は死に、沖田がいなければきっと姉はすぐに嫁へと行くこともできただろう。それなのに自ら茨の道へと飛び込んで沖田を育てることを選んで、そうしてそれから。近藤だって、沖田のせいで色々陰口をたたかれるはめになった。己の気性はあまり穏やかとはいいずらい。好戦的で、そうして負けず嫌いで、性格は歪んでいる。己がいなければきっと、近藤も幾分か楽になったのだろうと思うわけで。
最初から、沖田には、剣しかなかったのだ。
はじめから、剣を扱うのだけはうまかった。けれど、剣というものは人を傷つける道具でしかない。いくら自分や仲間を守るという名目を掲げてみせたところで所詮は人斬りの道具。取り柄が人殺し、だなんて自分らしいじゃないかと笑うばかりで。しかし、それすらも労咳によって取り上げられて沖田には何もなくなった。変若水を飲んでも、労咳はなおらずに息を潜めながら、しかし確実に沖田の体をむしばんでいく。変若水は仲間を、大切なものを全て奪い取り、そうして労咳は沖田の存在意義を奪った。それなら、沖田には何が残っているというのだろう?どうやって沖田は生きて行けばいいのだろう。

「どうしましたか、総司さん」
ふ、と目を開けると千鶴がすぐ傍に居た。真綿のような心を持った沖田の悪夢。沖田の最愛の人は、小さく笑うと沖田の髪を撫でる。その優しい温度に、何故だか泣きたくなる。悪夢だ、と思う。決して、沖田の手に入らないもの。手に入ると錯覚してはいけない優しい温度。修羅にはじまり、修羅で終わると思っていたはずの人生が何故こんなにも穏やかになってしまったのだろう。数えきれないほど人を斬ってきた、傷つけてきた。それなのに、どうしてこんなにも幸福感が体を襲うというのだろうか。悪夢だ。きっと、この夢は醒めれば悪夢へと成り変わる。夢は、幸せであればあるほど現実は辛くなる。
「千鶴」
「はい、なんですか?」
穏やかに返された返答に、沖田は千鶴の手を引き己の中へと千鶴を閉じ込めた。今、沖田にあるのはただひとつだけ。ただひとつの優しい悪夢だった。




大事に握りしめていた悪夢
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