この優しい温度は、いつだって沖田を責めているのだ。

どうして、こんなことになってしまったんだか、と後悔するのは、もう遅いのかもしれないけれど。新選組という組織がなくなってしまった今、沖田をこの世界へと縛り付けるものは、ただひとつだけになってしまった。本来であるのならば、沖田という人間と新選組というのは斬っても切り離せぬものだったはずなのに、今、こうなってしまったのを考えると人生、何がおこっても不思議ということがないのではないかと思う。

腕の中に居る少女はとても柔らかくて、温かくて、きっと、少しでも力加減を間違えてしまえば壊れてしまうのだろう。沖田ならば、きっと、彼女を一瞬で殺すことだって可能なのだろうと、そう思う。もしも沖田がこんなことを考えているのだと知ったら、彼女はどう思うのだろうか。怖がるだろうか、それとも憎むのだろうか、それとも……。
「総司さん?」
「……どうかした、千鶴」
先程まで考えていたことを悟られぬように、沖田は微笑を唇に浮かべてみせる。病に冒されている沖田よりもよほど、千鶴の方が儚げなのはどうしてだろうか。男装をする理由もなくなり、今の彼女は、女の姿へと戻っている。とはいっても、元より飾り気などなにもなかったから特には変わらないはずだというのにどうしてこんなにも柔らかな印象になるのか。けれど、同時に、消えてしまいそうな、そんな気がして沖田は不安になる。
沖田の腕の中に、確かに彼女は居る筈で、それは代わりの無い事実だというのにどうしてこんなにも、沖田は心もとなく感じるというのだろう。

ついと、ふいに頬に触れられる。

沖田よりも華奢で、小さな指が沖田の輪郭を確かめるように撫で、そうして触れたまま、止まる。彼女の手は沖田の肌よりも温かく、彼女に触れられた部分だけ、彼女の体温がうつって生ぬるくなる。
「千鶴?」
彼女の行動の意図が読めずに、沖田が眉を寄せれば千鶴は「すいません」と眉を寄せた。
「なんとなく、沖田さんが消えてしまいそうな、そんな気がして」
どうやら、同じことを考えていたらしい。
ほんのすこしだけ可笑しくて、沖田はくつくつと喉で笑う。
「―――――そんなに簡単には消えないよ」
目を細めて、そういえば「そう、ですよね」と千鶴は目を伏せた。そんな彼女を見ながら、沖田は心の奥底でずきりという鈍い痛みが走るのを感じた。最も、そんなことは顔には出さなかったけれど。
沖田が口に出したのは、嘘だ。いつだって、人の命は、簡単に消える。
人というのものは、一見、頑丈そうに見えて何よりも壊れやすいということを沖田は知っている。だからこそ、人の生きざまは何よりも美しくなるのだ。
はらりと散る花のように、潔ければよいほどに、美しいだなんて皮肉な話である。

「あ、蝶が」
「――――春だからね」
艶やかな羽衣をひらひらと見せびらかすように空を舞う蝶を横目に、沖田は千鶴を抱き締める手の力を強めた。

「胡蝶の夢、か」
「荘子ですか?」
「そう。……知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。案外、蝶であるのが本当の姿なのかもね」
「―――――少しだけ、それは困りますね」
「困る?」
どうして、と沖田が首を傾げれば千鶴は困ったような顔をした。
「きっと、沖田さんは一人でどこかへいってしまうでしょう?」
「……」
否定は出来なくて、沖田は押し黙る。千鶴は千鶴で、沖田の反応など見通していたのか苦笑して、そうして沖田の胸へと額を押しつけた。何か、言葉をかけるべきであるのかと迷った末、沖田は何も言わないことを選んだ。

―――――今、沖田が何を言おうとも嘘にしかならぬのだから。

ただ、沖田は千鶴の身体を掻き抱いた。今、手にしている幸せが幻ではないと、確かめるように。どうしてこんなことになったのか、問うた所でどうしようもない。こうなってしまえば、きっと、もう進むことしか出来ぬ。






真綿でのどを湿らすように
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