「なんだかんだと、総司は千鶴のいうことだけはちゃんと聞くんだよなあ」 事の始まりは、夕食時の新選組八番隊組長である藤堂平助のこの言葉であった。 体格はというと新選組の中でもどちらかといえば華奢な方であり(とはいっても、比べている対象が対象であるために彼自身は平均の男よりは体躯ががっしりとしていたが)且つ、年齢も幹部の中では若い方であるためか、如何せん、声が大きかった。 そのため、その声は夕食の喧騒の中でも朗々と響きわたり、かき消えることなどはなかった。 何故だろう、けれど、その平助の言葉によって賑やかだった夕食は何故か静かになる。あれ、と平助は数度、瞬きを繰り返したのを原田は横で見ていた。 もしかしたら何か不味いことをいってしまったのだろうかと彼が思っているのが、すぐに原田はわかる。 やはり、若いこともあるのだろうか。 藤堂という男は、人の機微には聡い方ではあるくせに、だからといって自分の発言によって相手が何を想うか、どんなことがおこるか、などの計算は不得意のようだった。 しんとなった空気に、観察するように藤堂は左右を眺める。 「そうかあ?」 ほんの少しだけピリリとした空気に、能天気な声が響き渡る。 二番組組長、永倉新八、そのひとである。 発言した相手を見た瞬間、あぁ、まずいなあと原田は誰にもわからないように眉を潜めた。 幸か不幸か、いうのであれば不幸なのだろう。女の機微に疎い彼はやはりというなんというか、人の機微には疎いようだった。剣術の腕は確かだというのに、そのほかのこととなるとさっぱり不得手になるそんな永倉の発言に、横に居た原田は、さあて、どうしたもんかなあ、と一瞬だけ考える。 永倉さえ、平助の言葉にのらなければ、新しい話題を提供することで平助の言葉を適当に流すことができたものの、こうも乗っかられてしまうと新しい話題を出してしまうのはわざとらしく感じるだろう。 別段、この話題からであれば自分に被害は及ばないだろうと考えながらも、原田は慎重に言葉を選ぶ。 この手の話題は適当に盛り上げて、そうしてさっさと終わらせてしまうに限るだろう。 「言われてみやあ、そうかもしんねえなあ」 幸いであるのは、今、話題にあがった千鶴がこの場に居ないのだけだろう。優しい彼女は、食事の最中の「喉が渇いた!」というこれまた空気の読めない永倉の発言により、お茶をいれに台所へと行っている。 彼女のためも想い、千鶴が居ない間にさっさと終わらせてやるかと思いながら、原田はちらと話題にのぼっている男を見た。 不幸であるというのならば、珍しくこの場に沖田が居るということだろう。 最近、体調を崩しがちな沖田が夕食の場に現れるのはとても珍しいことだ。 だからこそ、こうして近藤や、なにかと忙しい土方もこうして夕食の場に姿をあらわしたのだろうと推察することができる。 噂を聞くに、最近は食事もあまりとらぬというし、千鶴が頻繁に何かをつくって持っていっていると聞く。 なればこそ、きっと、今日の膳に果物や、喉越しが良いものが多いのは彼女なりの気遣いであろうと思うわけで。 大事にされてんなあ、とそう思ったけれど原田は何も言わなかった。 平助のように空気が読めないわけでも、永倉のように馬鹿でもなかったので。 「……何か、理由があるのか?」 それを口にしたのは、いままで黙々と食事を口に運んでいた斎藤だった。 珍しいこともあるものだと原田は内心、驚いた。 彼はあまり沖田とは仲が良いとは言えない。 なにせ、斎藤は土方の忠実な懐刀でもあったし、そうして沖田はその土方を目の敵にしているところがある。 それに、年齢が近いこともあるのだろう。 お互いの腕を認め合っている分、なにかと火花を散らしていることが多いというか。 獲物も違えば、年齢も違う原田にはわからない感覚である。 そんな斎藤が疑問をくちにしたのだから、自然、周りの人間の視線は沖田へと集まる。 当の本人は、それをたいして気にした様子もなく、ただ肩を竦めただけだったが。 「別に、千鶴ちゃんが言うから聞いているというつもりはないよ。僕が従うのは近藤さんの命令だけ」 そういって、沖田は唇を尖らせた。 どうやら、沖田本人はそのような印象をだかれるのがお気に召さないらしい。 まあ、なんとなく予想はしていたけれど。さて、そろそろ話題の切り替え時だろう。 新しく話題を提供しようとした原田よりも先に、唇を開いたのは沖田だった。 「僕よりも、土方さんの方がいつも千鶴ちゃんに叱られていますよね」 あ、しまった、と原田が思うよりも先に、永倉と平助がその言葉に反応した。 「「は!?マジで!?」」 食いつきのいい二人の反応に、沖田はにんまりと笑みを浮かべる。 予想どおり、とでもいわんその顔に原田はこっそりと誰にもきかれないように溜息を吐いた。 もう俺は知らん、とばかりに。 「うんうん、大マジだよ」 「叱るって土方さんをか?」 「あの鬼の副長を、彼女がねえ」 「……なんだよ、お前ら」 意味ありげな視線、先程の沖田の発言からか、土方は苦い顔をしたまま永倉たちを睨んだ。 否定しないことで、沖田の言葉が事実であるということを認めていることに彼は気が付いているのか居ないのか。 「いや、真相はいかに!と思ってさ」 「そんなの決まってんだろ、俺が」 「駄目ですよ、土方さん。だって僕、昨夜見たんですからね」 沖田の言葉に土方が嫌そうな顔をして「おい、総司、なにをいうつもりだ」と沖田を睨みつける。 その様子を見た永倉と平助が「おぉ」と感嘆の声をあげた。 あぁ、もうどうにでもなれと原田は酒を舐めた。 残念なことに、あまり原田は気が長いほうでもないし、どちらけといえば長いモノには巻かれろ、というのがモットーである。ここまできてしまえば、なにをやっても無駄だろう。 「もしかしたら、怒られるのが好き、とか?佐之さん、そういう女の人が居たら紹介してあげなよ」 「悪いが知り合いにそんなのはいねえな」 巻き込まれるのは御免だ、と言外にそういいながら言葉を放り投げれば、沖田は「あぁ、残念でしたねえ、土方さん。佐之さんでもしらないんじゃどうしようもないですね」と土方にわざとらしくそういってみせた。ひくり、とその発言に土方の頬がひきつったのを、原田は見た。勿論、すぐに目をそらしたけれど。 「ははは、しかしトシを叱りつけるなどと出来る娘御はいないだろうに。結局はどうなんだ、トシ」 近藤の朗らかな笑い声になんとなしに緊迫した空気が和らぐのを感じた。流石は近藤さんだな、と感嘆している横で、土方は深々と溜息を吐いた。 「千鶴が俺を叱るだなんて有り得ないのがわかっていて聞いてんだろ、近藤さん。アイツはただ、俺に茶を持ってきただけだ」 面白がるんじゃねえよ、とそういった土方に沖田は笑った。 「ちがうでしょ、土方さん」 「あ?」 心底嫌そうに返事をした土方に比べ、沖田はきらきらとしたような笑みを浮かべる。嵐の前のなんとやら、とばかりの雰囲気である。 「お茶を持ってきて、いい加減に休んでくださいと叱られた、というのが真相じゃない」 土方が、みるからに言葉を詰まらせたのを原田はみた。 「……あれは別に叱られたわけじゃあ」 「けれど、その後にすぐにあの仕事の鬼である土方さんが早々に仕事をやめていたじゃないですか」 「たまたま仕事が終わったからだ!言われたからじゃねぇよ!」 「――――――それにしても、あの土方くんにそれだけ言えれば十分だろう」 井上もことの他、ほんの少しだけ面白かったのか、口を挟む。 普段であれば、年上であり、そうしていつも土方達をとりなすばかりの井上にそう穏やかにそういわれると何も言えなくなったらしい。土方はぐっと押し黙った。そうして、苦虫をかみつぶしたような顔をする。 「……ミツさんを思い出すんだよ」 唸るように、零れた言葉に、一同は揃って沈黙した。 ミツとは沖田の姉のことである。多摩からの同郷の志である彼らとは、きってもきれぬ仲といっても過言ではないだろう。 何かとつまらぬことや、馬鹿なことをやらかす土方達にたいして、普段はにこにこと穏やかに見ていたものだったが、それが度をすぎると普段の穏やかなどどこへ行ってしまったかというばかりに恐ろしく怒るのだ。 この中で、きっと彼女を怒らせなかったものなどいなかろう。中でも、土方や沖田は怒られる頻度が群を抜いていたといっても過言ではない。……もっとも、彼女は身体があまり丈夫ではなかったから京都のほうまではついていかなかったのだけれども。 「いや、アレは千鶴ちゃんと比べたら駄目じゃないか?」 「そうだぜ、性格が違いすぎる」 なにせ、沖田の姉である。 あの飄々とした沖田でさえも、姉の前に出ると借りてきた猫のように大人しくなるのだ。深くは語りはしないが、彼らがどうおもっているかがわかるというもの。ここまで散々なことをいっておいてなんだが、ミツは普段はとても優しい女性である、と原田は心の中で付け加えた。そうしないと、なんとなく恐ろしいようなそんな気がしたので。 あの近藤ですらも、彼女の前ではかたなしである。自覚があるのか、あまり関わりたくはないのか近藤は視線をあらぬほうへとむけている。 「ねえ、キミら。人の姉さんを弟の前で貶すなんて良い度胸だよね?」 斬るよ、と笑顔で宣う沖田に永倉は慌てて首を振った。 「馬鹿を言うなよ!誰がミツさんを貶すなんて恐ろしい真似が出来るか!」 沖田の斬る、という言葉よりもそちらに反応する時点で駄目だろうよ、だからお前はもてないんだ、という言葉を原田は呑み込んだ。 「……だが、千鶴と彼女は性格が違いすぎるだろう」 斎藤の言葉に沖田は溜息を吐いた。 「性格はどうあれ、身体のことになると口うるさいところと、心配性な所は似ていると思うけれどね」 どうやら、土方が思っていたのと同じことを沖田は思っていたらしい。 珍しく土方の言葉に同意するようなことを言った沖田に原田はほんのすこしだけ、驚いた。 「これと決めれば頑固になって、こっちがなにをいおうと引きやしねえ」 だから、仕方がなく、こちらが折れるんだ、とそういった土方に原田は苦笑する。 「まあ、彼女も江戸の女っていうことだろうよ」 その言葉に、周りの男たちは揃ってぽかんとしたような顔をして原田をみた。 何か変なことを言っただろうかと原田は己の発言を心の中で繰り返し、そうして首を捻る。 「そういや、千鶴の出身は江戸だったか」 ぽつりと呟いたのは土方だった。 どうやら今の今まで忘れていたらしい。 そうなると、まわりの視線はこういうことだったのかと原田は納得し、そうして苦笑した。 確かに、千鶴は江戸の女、というには首を傾げざるをえないだろう。 彼女がここに来たのは、まだ彼女が“女”というよりは“子供”というに近い時期でもある。 ……まあ、とはいっても、彼女が過ごしている時間はほどほどに長く、その時間は彼女を女性へと成長させるには十分ではあるだろうが。 「失礼します、お茶をお持ちいたしました」 そういって、姿を顕した千鶴は、部屋の中へとはいり、そうしてすぐに首を傾げた。 どうやら、どこかの二番隊組長などとは違い人の機微や周りの空気に聡い彼女は、なんともいえない空気に気がついたらしい。 こてん、と首を傾げた少女は未だ、幼いとしかいいようがないだろう。 やはり女性というにはもう少しだけ、時間がたりないようにも思えて原田は苦笑した。 「あの、原田さん?何か、あの、私、席を外した方がよろしいでしょうか」 「あぁ、いいや、気にするこたあないさ」 手にもっていた酒杯に唇をつけて、原田は目を細める。 「男が華に弱いというのは、世の常だからな」 原田の言葉にすぐに沖田が茶々をいれる。 「華ねえ、花というには、まだ蕾のようだけれど?」 「……は?」 きょとんとした顔をすると、幼い顔立ちが更に幼く見える。原田は喉でくくと笑った。 「馬鹿だな、総司。育てることにこそ、男は浪漫を感じるんだぜ!」 ふふん、とドヤ顔をつくりそう宣った永倉に「うわあ」と沖田はこれみよがしに顔を顰めた。 「やだなあ、モテない男に教示なんかされたくないのに。まだ佐之さんにいわれるのならば説得力があるのに、新八さんに言われるとなるとどうにも信用できないよねえ」 「なんだと!?」 沖田の発言に噛みついた永倉。さらに、それをとりなそうとする平助。けれどそのとりなしはどちらかといえば墓穴を掘るような好意で……そうして、普段とはあまり変わらぬやりとりが始まる。 あぁ、またかよ面倒だなあ、っていうかこいつらは本当に同じやりとりをして飽きねえなあと原田は溜息を吐いて、そうしてちらと千鶴の顔を盗み見た。 千鶴は沖田と永倉のやりとりを見て、一瞬、驚いたような顔をしたものの、すぐにふわりと微笑をうかべる。 穏やかな笑顔の、その驚くほどに柔らかなそんな表情を彼女がするだなんて想像していなくて、原田は目を瞠った。 それはまさに、花が綻ぶのを目にしたのかのように衝撃を受ける。 「……原田さん?」 「あぁ、いや」 千鶴をみている視線に気がついたのか、どうかしたのかとばかりに原田へと視線を向けた千鶴に対して、誤魔化すように原田は酒へと口をつける。 適度に強い酒が、目を覚ませとばかりに喉をやく。 「――――――意外と春は近いかな、と思ってな」 「そう、なんですか?」 今は、春が近いとは言い難い季節である。 なんのことだろうと首を傾げた千鶴に原田は目を細めた。その姿は、原田の知っているいつもの千鶴だった。 だからこそ、原田の言葉は、夜の喧騒へと混じってすぐに消える。夜の闇は、ほのかに花の香りが混じっているような、そんな気がした。 花の匂いは惑えども |