そうだ、栃木にいこう。(ED後)



「あぁ、そういえばコウは貴方が好きだったようですね」
「へ?」
ふと思い出したように天海が言った言葉にゆきは数度瞬きを繰り返した。
場所は日光、東照宮。何故この場所に居るのか、と問われればたまたま学校の長期休暇が取れたから旅行にでもいってらっしゃいとゆきの母親がゆきに宿泊チケットをくれたことに由来する。
本来であるのならば、瞬や崇、都たちと一緒に行くべきだろうかと思ったのだけれど、どうやら三人ともが忙しいらしい。珍しいこともあるものだと思いながら、ゆきは天海を誘おうとし……そうして困り果てた。よくよく見て調べてみれば、宿泊施設は日光の東照宮の傍に新しく出来たという有名な宿だったのだ。天海を誘うには場所が悪すぎる。
東照宮といえば、江戸幕府初代将軍である徳川家康を祀った場所であり、まさに、天海にとっては呪縛されたその場所である。あまり良い想い出はないのではないか、とか、出来る限りならば思いだしたくないんじゃないか、などと思えば中々天海を誘うという選択肢には手が出せずにいた。
けれど、どうやらそんなゆきの心を知らぬ母親が天海に連絡していたようで、宿泊チケットを貰ったことを、何事もなかったかのように隠し通そうとしていたゆきに対して(というより、いつの間に連絡し合う仲になったのかをゆきは詳しく聞きたい)天海に逢って早々
「私に何かいうことはありませんか、愛しい子」
と笑顔で詰め寄られた。正直な話、物凄くイイ笑顔だった。どうやらゆきが天海に隠し事をしようとしたのが気に食わなかったらしい。あ、神様には隠し事出来ないって本当なんだーとかそんなことを思ったのはここだけの内緒だ。


「えぇと、コウ?って…どれだろう」
ましらの一人であるのは知っているし、顔もすぐに出てくるのだけれど、それを指すのがどれだかわからずにゆきは天海をみた。天海は小さく笑って、彫刻のひとつを指でしめす。
「あれ、ですね。真ん中に居る子です」
「口を手で押さえている子?」
「えぇ、そうです」
頷いた天海にゆきは首を傾げた。
「どうして急にそんなことをいうの?」
「いいえ、ふと思い出しただけで意味はないのですけれど。……ふふ、人ならざる者たちまでも手なずけてしまうのは龍神の神子だからなのかな、とそう思ったら可笑しくて」
くすくすと唇に手をあてて笑う天海はいつもより、随分と柔らかい印象。ゆきは目を瞬かせた。
「……?どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないの」
けれどそれを指摘してしまえば天海の事だ、隠そうとするに違いないとゆきは胸の内に仕舞う。再びゆきは上を見る。天井に掘られている飾りをじ、と眺める。よくよく見れば、なんとなく誰が誰だかがわかるような気がしてくる。えぇと、ゆきは指をさした。
「左がリョク、真ん中がコウで、右がセキ、であってる?」
「……おや、よく名前を知っていますね」
天海は驚いたようにゆきを見て、そうして笑う。
「リョクはいつも賑やかで、コウは喋りませんでしたけれど目が口ほどに物を言う、というか…素直な子でしたね。セキはあの中で一番頭が良くて、口が達者。よくリョクと喧嘩をしていましたよ」
「あぁ、うん、なんとなく想像が出来る」
ゆきは過去の出来事を思い出して苦笑した。
「けれど、あの子たちが誰かを好きになるだなんて想像をしていなかったから。私が知らぬうちに何か、あったのでしょうか?」
「え、私?」
ううん、と考え込むけれど、特に思い当たるふしは見当たらなくてゆきは眉を寄せる。
「特には、心当たりはないの」
「ふふ、知るのは当人ばかり、でしょうか。ほんの少し妬けますね」
悪戯めかしたようにそういった天海は見せつけるように、ゆきの手をとった。



















そうして、天海に連れられるままに次に向かったのは奥社の入口。ふいに立ち止った天海にゆきは「どうしたの?」首を傾げた。天海は微笑い、そうして指を指す。
「猫?」
「見たことはありませんか」
「……この子を?」
ふ、と考えたゆきの耳にちりん、と鈴の音が響いた、そんな気がした。その音で、ゆきは幼子の顔が思い出す。
「――――――カイ?」
「えぇ、そうです」
良く出来ました、といわんばかりの笑みにゆきは首を傾げた。
「眠り猫、だよね、これ」
「そうですね、その名の通り、良く眠っているようです」
「本当に気持ち好さそう。ねえ、天海。カイはどういう子だったの?」
「そう、ですね。君も知っているようにいつも眠たそうにしていて…」
天海の口から語られるのは、知らぬことばかりで面白かった。もっと、と話を強請れば天海はそれに応えてくれる。
例えばそれは、リョクがうっかりカイの尻尾を踏んづけて、大喧嘩に発展した話、だったりまた、カイが良く眠れるようにとコウが揺り篭を作った話、リョクとセキが言い争いになる、といつもコウが力づくで仲裁した話など。尽きることのない話題。それらをひとつひとつ丁寧に語る天海の顔は、とても優しいもので、それに嬉しくなってゆきは笑みを浮かべた。
「楽しそう」
「……」
天海は驚いたような、そんな顔をしてゆきを見た。
「天海?」
「あぁ、いいえ。なんでもありません。そうですね、今ならばあの日々が楽しい、といわれるものだということがわかります」
「此処に来たかったのは、カイたちがどうしているかを確認するため?」
「可笑しなことを言う子。……私がそんなことをするように見えますか」
さらりと否定をしてみせた天海に素直じゃないなあとゆきは苦笑する。けれどゆきの思ったことが伝わったのだろう、天海は念を押すように「本当ですよ」と目を細める。そんな天海にゆきは苦笑する。わかってはいたけれども、やっぱり素直じゃない人。ゆきに同意するように、ちりん、と空高く、鈴の音が溶けて、消えた、そんな気がした。




一通り“観光”をしてから宿へと戻ると、かなりの時間が経っていたようだ。荷物を置き、ようやく一息つける頃にはすでに夕闇が差し迫っていた。随分、時間が経つのは早いものだと思う。何だかんだで、きっと楽しかったからかもしれない。
「あれ、天海?どうかしたの?」
窓の外をじ、と眺めたまま、考え込むようにしている天海にゆきは気がついた。窓の外には東照宮の一部が見える。
「……存外に心配されていたのは私なのかもしれませんね」
「へ?」
何が、だろうか。
説明を求めるように天海をみれば、天海は目を伏せた。
「いえね、あまりにも出来過ぎているようなそんな気がして」
「出来すぎ?」
「何故、わざわざ貴方の母上が栃木の…しかもこんなに東照宮が近くにある旅館の券を持っていたのか、とか……それに、君の事だから八葉や黒龍の神子を先に誘ったんじゃありませんか?」
「……なんでわかるの?」
「君の事ですから、大体は想像がつきますよ」
わかりやすいですしね、と天海は目を細めた。
「けれど、そうですか」
そうして、東照宮へと視線を向け、ぼやくように呟いた天海の言葉にゆきは驚く。
「夜ならば…もしくは逢えるかもしれませんね」
「行くの?」
「えぇ、折角ですから」
私も行っていい?
と聞こうとして、折角久しぶりに会うのであれば邪魔をしない方が良いかもしれないとすぐにゆきは思いなおして「気を付けて行ってきてね」と言った。ゆきの飲み込んだ言葉がわかったのか、天海は微笑う。
「君も行くでしょう?」
「……いい、の?」
「えぇ、勿論です」
そういって頷いた天海にゆきはほんの少しだけ迷い、そうしてついていくことにした。




夜の東照宮を満月が照らす。夜は視野が狭くなる、それに足場が悪いから、そういって天海に手をひかれていたゆきは門に影をみつけた。この刻限では人が居るのは可笑しいだろう。そうすると、あそこにいるのは…。ゆきが気がついたように天海も気がついたのか「予想が、あたりましたね」と愉快そうに呟く。
「「天海様!」」
「息災のようですね、リョク、セキ、コウ」
「勿論です!」
「おや、カイはどうかしましたか?」
「ここにおるぞ」
ちりん、と鈴の音とともに少女が現れる。ゆきも何度か対面したことがあるが、こうして天海を挟んで相対するのは初めてのような気がする。……というかいつも敵として相対することしかなかったのでほんのすこし居心地が悪い。ゆきはさりげなく天海の手を離した。天海は一瞬、ゆきを見るがすぐに苦笑して、それから何も言わずにカイへと向き直った。
「カイ、最近は良く眠れていますか?」
「うむ、好き眠りじゃ。今宵は天海様が来ているからとコウに起こしてもらったのじゃ」
「そうですか、相変わらず仲が良いですね」
カイと天海の会話を聞いていると、ふいに視線を感じる。
「……」
「コウ?」
「!」
どうかしたの、と問う前に、視線が合った瞬間に顔を逸らされた。何かいけないことをしてしまっただろうかと戸惑ったゆきにからからとリョクの笑い声が響く。
「コウの野郎、照れてんだ」
「照れる?」
「あぁ、そういえば、昼間、天海様にコウの好意をバラされていましたからねえ」
昼間のやりとりを思い出すより前に、コウが何も言わずにリョクを思い切り殴った。がつ、という鈍い音とともに「〜!なにすんだよ、コウ!」リョクの悲鳴があがる。きゃんきゃんと良く通る声にゆきは慌てて仲裁をしようとする。
「あの、もうすこし静かにしないと人が」
「それなら、天海様が結界を張ってらっしゃったから大丈夫だと思いますよ?」
セキの言葉に(いつの間に)と天海を見れば、視線が合って、にこりと微笑われた。
「なんじゃ、おんしら、また何かをやらかしたのか」
カイの呆れたような言葉に「いいえ、何かをやらかしたのはリョクだけですよ」とセキが肩を竦める。それに大してリョクが噛みついて……。
「――――――そこまでに」
天海の言葉にぴたりと止まる。ゆきがあんなに苦労したことを一瞬ですませる天海にゆきは思わず噴き出した。
「?どうかしましたか?」
「ううん、お父さんみたいだなって」
「じゃあ、お母さんはキミですね」
「え?」
まさか、自分が“家族”の中にいれてもらえる、だなんて想像すらしていなくて当たり前のように天海の言葉にゆきは驚く。数度、睫毛を上下させていれば天海は首を傾げた。
「イヤ、ですか?」
「……ううん」
ゆきは首を振った。純粋に、嬉しい。そう思う。
(……おかあさん……)
優しい響きの余韻に浸っていると、どうやら知らぬうちに頬が緩んでいたらしい。リョクに胡乱気な顔をされる。
「何、にやにやしているんだよ」
「そんなの決まっているでしょう、そんなこともわからないんですか、リョク」
「そうじゃ、そのように女子の気持ちもわらかぬからモテぬのじゃ」
「なんだと!?」
「……」
再び、コウが何も言わずに拳を振り落とした。がつん、と良い音がするのと同時にリョクの呻き声があがる。
「っ!いってー!何すんだよ、コウ!何で俺だけなんだよ、差別すんなよ!」
「因果応報じゃ、ざまあみろ」
「なんだと!?カイ、調子乗るんじゃねえぞ!」
「あぁ、全く…喧嘩はしないでくださいと言ったばかりだというのに」


天海の声に途端に大人しくなるのに、ゆきは思わず笑ってしまう。なんだかんだと喧嘩をするほどなんとやら、という奴らしい。まるで家族のような、そんな温かさがあるような気がしてゆきは目を細める。
初めはどうなるかと思ったけれど、ここにきて良かった、とそう心の奥底からそう思うことが出来た。真夜中のほんの一瞬の奇跡を味わうように、ゆきは目を伏せた。




それから一刻が経つくらいだろうか、くい、と袖が引っ張られ、ゆきは顔をあげた。
「コウ?」
何も言わず(言えないのかもしれないが)コウはゆきになにかを押しつけた。反射的に受け取る。花だ。白い花。花弁の多いその花はどこかで見たことがあるような気がして、けれども名前が出てこない。
「おや、睡蓮ですか。夜に咲くのは珍しいですね」
教えてくれたのは、天海だった。睡蓮の花。言われてみれば、京に居た時になんだかんだとよく見かけていた花である。
「……くれるの?」
「……」
こくり、と頷かれた。
「ありがとう、嬉しい」
「!」
ゆきがそういって笑めば、コウはふいと顔を背ける。けれどさっき感じたような、素っ気なさはない。
「よかったですね」
天海の言葉にゆきは頷いた。刹那、ごーん、と鐘が鳴る。その音に、何故かぴたりと喋るのを止めたリョクたちにゆきは首を傾げる。言葉を切り出したのは、カイだった。
「―――――刻限じゃ」
帰らねばならぬ、カイはぽつりと呟く。そうして、ゆきを見て、目を細める。
「龍の神子、天海様を頼むぞ」
「あんまり天海様に迷惑かけんじゃねーぞ」
「天海様、また何かあればなんなりとお呼びください」
「……」
各々が好き勝手なことを言って、そうして消えて行く。



















最後に残ったのは天海と、ゆきだけ。先程まで、あんなにも騒がしかったというのに、どうしてこんなにも静かになるのだろう。ほんの少しだけ寂しいようなそんな気がする。けれどきっと、天海の方が寂しいのだろう、とそう思うけれど。
「天海?」
ゆきの隣に居る人の顔を見上げれば、天海は考えるように目を伏せている。
「私は幸せ者なのでしょうね」
何となく、言葉を挟めなくてゆきは天海をじっと見ていた。
「君が居て、触れられる。それだけで十分だと思っていたのだけれど……」
思っていたよりも私は欲深になっていたようです、とそう言った天海の視線の先には、今はもう天海とゆきの影しか映っていない。悲しい?そう問おうとして、けれどもゆきはその言葉を飲み込んだ。いつか天海を置いていくだろうゆきには、それを問う資格などない。

「―――――――行きましょうか」

気持ちを切り替えるように天海はそういうとゆきの手をとった。温かい。夜の冷えた空気によって、どうやら身体は自分で思っていたよりも冷えていたらしい。
ゆきは天海の温かさを求めるように、手をつなぐ力を強くした。繋がれた手はいつかきっと離れてしまうのはわかっていたけれど、だからこそ、せめて、いまだけは。
まるで夢のような一夜、ただひとつそれが夢じゃないという主張するように、睡蓮の香りが辺りを広がる。





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