――――――ほんとうは、わかってた。


ゆきは、我儘だ。
絶対に解りあえることのない人を好きになって、そうして好きな人なのに傷つけてばかりだった。いくら、謝っても足り得ぬほどに傷つけたのに、その人は変わらずにゆきが好きだと言ってくれるのだ。
どうして、こんなにも幸せなのに、涙が出てくるんだろうか。



手を繋いで



天海とゆきが再会してから、1カ月が経った。
部屋のカレンダーを見て、ゆきはとても驚いた。一カ月経っていたことに気がつかなかったのだ。随分と、時間の流れが速いようなそんな気がする。
「もう、一カ月…」
一カ月といえば長いような、短いようなよくわからない時間だ。しかし、天海と出会って一カ月というのならば、あの時空へと居たのはもっと前ということになる。
「皆、元気かな」
ゆきはくすりと笑う。八葉の誰もが個性派揃いだったのだ。そう簡単に変わるわけがないと思いながら、ゆきは過去へと浸る。今も目を瞑れば、鮮やかによみがえる記憶。
「……?」
ゆきは、違和感を覚えて眉を潜めた。どうにも、靄がかっているようで鮮明に思いだせないのだ。
(あ、れ?)
あんなにも、大切な記憶だったというのにどうしてゆきは忘れてしまったというのだろうか。そうして、ふいに恐ろしくなる。人間でさえこうだというのならば、人間よりも遥かに永く生きる神はどうなんだろうかと。
あの時はあんなにも大切だと思った記憶はばらばらと砂が掌から零れるように落ちて行く。
ゆきは、愕然とした。
どうして、こんなことに気がついてしまったのかはわからない。けれどいつか、ゆきは天海に忘れられてしまうのだろうか。そのどうしようもない想像に、恐ろしくなった。
(何故?)
人は、忘れる生き物だ。
辛いことを重ね、重ね、けれどもそのままでは前に進めぬからこそ辛いことは忘れるという。なれば、人よりも永く生きる神様は?
ゆきのことを辛く引きずるくらいであるのならば、いっそ忘れて欲しいと思っていた。ゆきは、天海と【今】を生きられるだけで十分だと思っていたから。そうだったはずなのに、忘れられるかもしれないと思ってこんなにも、恐ろしくなるだなんて。
「私、最低、だ…」
ゆきは項垂れた。ゆきは、天海に自分の事を忘れてほしくない、そう思っている。







女の子という生き物は、総じて噂話…それも恋に関することが好きな生き物なようだ。高校生ともなると、それは顕著になるようで、好きな人の話、彼氏の話……ゆきはくすりと笑って、友人たちの話に耳を傾けていた。けれど、やはり輪の中に入っていれば自然とゆきにも話は振られるわけで。
「ゆきは?」
「え」
まさか振られるとは思っていなかったため、ゆきは数度、瞬いた。恋人は、居る。居るといえば居るのかもしれないけれど……。
天海の顔を思い出して、ゆきは曖昧に笑んだ。もしも恋人がいる、だなんてことになったら会わせろといわれなかねない。ゆきの頼みであるのならば天海は聞いてくれるかもしれないけれど、天海は基本的に他人の干渉だとかそういったものをあまり好まないのだ。
ゆきの笑みに何を思ったのか、友人たちは顔を見合わせた。そうして、そのうちの一人が「よし!」とふいに立ちあがる。
「カラオケに行こう!」
「へ?」
「なんでもいいよ、もうパーっと憂さをはらそう!」
「あ、あの」
別に晴らすような憂さも何もないのだけれど何を誤解しているのか。
本当ならば、放課後は天海の所へ寄ると決めていたのだけれど…。勿論、それはゆきが勝手に決めたことで、天海と約束したわけでもなんでもない。
(まあ、いっか)
たまには、こんな風に友人たちと過ごすのも悪くはないだろう。それに、正直な話、今の状態で天海と逢うのは……キツい。わいわいとどこへ行くかを話を盛り上げている友人の背を、ゆきは追った。






場所は変わって、駅前繁華街。
放課後ということもあってか、妙に人が多い。ぼんやりとその人並みを見ていると、ふいに知っている顔を見かけてゆきは足を止めた。
(天海?)
天海が外に出ているなんて珍しい、とそう思ってから目の前に知らない女の人が居るのを見て息をつめた。ゆきが立ち止ったのがわかったのか、友人の一人が「どうしたの?」と首を傾げた。そうして、ゆきの視線の先を辿り感嘆の声をあげる。
「どうしたの?」
「見て、すっごい美男美女カップル!」
「―――」
女の人は、スーツを来ていて、そうして肩口で切られた髪がさらりとゆれている。まさに【大人の女性】といわんばかりのその人は天海に似合っていて。
綺麗だ、とゆきは純粋にそう思った。だからこそ余計に、悲しくなる。そのひとが天海の雰囲気にどこか似ていれば似ているほど、まるで対のようにすら見えて。
「お似合いだね!」
弾んだようにそう言った友人の言葉に、ゆきはそっと胸を抑えた。痛い。じくり、じくりと痛みを訴える胸にゆきは俯いた。見たくない。ゆきの頭にあるのは、ただそれだけだった。だって、ゆきはわかっていたのだ。そう、いつの日か。ゆきが天海の傍からいなくなった時、天海は他の誰かを選ぶのかもしれないだなんてこと。
ゆきのことを引きずって、ずっと生きて行くよりはそちらの方がよほどいいとゆきは心からそう思っているはずなのに、けれど実際にその光景を見せつけられているかのような錯覚をうけた。正直、辛い。辛いけれど、だからといってどうしてゆきが天海を拘束できるだろう?
(どうしよう、すごく……嫌、だ)
そうだというのにゆきは己の心に芽生えた感情に泣きだしたくなった。
口では綺麗事をいいながら、けれども実際は違うだなんてお笑い草だ。どうして、ゆきはこんなにも醜いのだろうか。
「ゆーき!早くいかないとおいてくよ!」
数歩先に居る友人の声にゆきは顔をあげた。何でもない顔を必死で作って、ゆきは駆けだした。きっとゆきは、天海を置いていく。その練習を、するように。



放課後は、天海の所へ行くのが日課だった。日課、というよりも習慣だった。校庭をオレンジ色に染める夕日を見ながら、ゆきはぼんやりとそんなことを思った。
「ゆき!帰ろ!」
「うん」
友人の一人に頷き、カバンを持つ。なんとはなしに軽いカバンに、ゆきは悲しくなった。あの日から天海の元へは行かなくなった。別に天海の事を疑っているわけではない。天海がゆきの事が好きだという気持ちを信じている。けれど、ゆきの心の整理がただ、つかない。
ゆきは、天海の事を縛り付けているのではないだろうか?
本来ならば、天海はもっと幸せになることが出来るのに、ゆきは自分という鎖で天海を縛り付けているのではないだろうか。折角、呪縛をといたというのにそれでは意味がない。けれど、ゆきには天海を解放するような、そんな方法がわからなくて
(―――違う)
ゆきは、俯いた。ゆきはわからないわけじゃない。
わかりたくなかったのだ。
ゆきは、きつく目を瞑る。まるで現実から目を背けるかのように。いつかは天海と向き合わなければいけないと思いながらもいつまでたってもその決断が出来なかった。これまではほぼ毎日のように天海の所へと顔を出していたというのに、天海の所へといかなくなって3日経って、5日経って、そうして簡単に一週間経った。
初めこそ、数日経ったらと思っていたことがけれど切欠がつかめなくてだらだらと先延ばしにしてしまった。携帯の電源は切ったまま、机の上に放置してある。基本的に、天海はゆきの訪れを待つことが多くて、だからこそゆきが会いに行くのをやめてしまえば簡単に天海とゆきを繋ぐ糸はなくなってしまう。
(…こんなに、簡単だったんだ…)
何だか急に馬鹿馬鹿しくなってしまった。あんなにも必死になっていた割には呆気ない終わりだっただなんて。天海が幸せならばいい、大丈夫。ゆきは何度も心の中で繰り返す。あんな風に、何度も時空を繰り返し飛んだのも全て天海のためだったのだから。命を捧げてもいいと思える相手、だからこそ会わなくても……きっと、平気。

「最近、元気ない?」
「そ、うかな」
「そうだよ。何かあった?」
友人の一人が首を傾げた。その言葉にゆきが大丈夫、と言おうとしたところで校門あたりが騒がしいことに気がついて足を止める。見れば、人だかり。珍しいこともあるものだ。何か、あるのだろうか。友人も気がついたのか、首を傾げた。
「何だろう、あれ」
「さあ、なんだろうね…」
その傍らを通りすぎようとした時
「困った子」
という声が聞こえた。その声に、まるで身体が凍りついてしまったかのように動かなくなる。
「こちらを向いてはくれないのですか」
天海がゆきへと近付くのがわかる。誰よりも、好きな人だ。恋しい、愛しい、確かにゆきはそう思うはずなのに、けれど、ゆきには振りかえる勇気がなくて。何も言わないゆきに焦れたのか、天海が責めるように告げる。
「私のことなど、忘れてしまいましたか?」
「っ!」
伸ばされた手を拒絶して、ゆきは走り出した。遠くから友人がゆきのことを呼ぶ声が聞こえた気がしたけれどそんなことは今のゆきには関係がない。逃げなければ、逃げなければいけない。ただゆきの頭にはそれだけがあった。走って、走って、息をするのも辛いくらいに走って、ゆきはようやく足を止める。
(あぁ、泣きたい)
どうして、こんなにも悲しくなるんだろうか。
こんなにも好きなはずなのに、どうしてこんな風に拒絶しなければいけないんだろうか。天海は、どう思っただろう。もしかしたら、ゆきの事を嫌いになってしまったかもしれない。それでいいはずだというのに、けれどもゆきは悲しくて悲しくて仕方がなくなった。
蹲りそうになったゆきの身体を誰かの手が止める。え、と思った時には既に、抱き締められていた。
「―――愛しい子」
その声に、ゆきは息を飲む。どうして、こんな所に。ゆきは身体を強張らせた。先刻、逃げてきたはずのその人に抱き締められて、ゆきは逃げるためにもがいた。
「は、なして!」
「―――――神子?」
不可思議そうな声にゆきは、はなして、と首を振った。
「嫌、嫌、なの。お願い、お願いだから離して」
「……どうしたというのです?」
珍しく驚いた様子をみせた天海に、ゆきは「ごめんなさい」とそう言ってから、告げた。
「別れたい、の」
「……」
あぁ、ついに言ってしまったとゆきは項垂れた。それは、今まで先延ばしにしていたはずの言葉だった。天海を解放するための、言葉。
「だから、離し―――っ!」
ぐ、と腕を握りこまれゆきは痛みに顔をしかめる。振り返った先、天海の顔をみてゆきはぞくりと得体のしれぬ寒気が走るのを感じた。
感情など、何もない冷たい瞳。
「神子」
天海の声は驚くほどに平坦だ。
「来なさい」
有無を言わせぬその様子に従う以外の選択肢などなかった。









連れてこられたのは、天海の住んでいるマンションだった。腕を引っ張られていたせいで、ゆきの腕は悲鳴をあげている。何度か離すようにと頼んだものの、天海は聞く耳をもたなかった。強引に部屋に連れ込まれ、扉に鍵をかけられる。そこでようやく、手が離れた。
「あ、まみ?」
「……話があるのでしょう」
「そ、うだけれど」
私はもう終わった、これ以上話すことはないと言いたいのに、けれども天海の様子からはそれだけでは赦してくれなさそうにもない。ゆきは諦めた。こうなってしまったからには正直に言うしかないだろう。リビングにあるソファへと座らせられる。いつものゆきの指定席だ。天海も普段のようにゆきの隣へと座った。ある意味で【いつも通り】であるはずなのに、どうしてこんなにも落ち着かない気持ちにさせるというのか。
「―――――それで、何故いきなり私は別れを切り出されなければならぬのですか」
「そ、れは」
「私よりも大切な存在でも出来ましたか」
「ちが」
「そうだとしても、私はキミを手放せませんよ」
天海はそう言って、ゆきの髪を一房手に取った。くるり、と指で遊びながら天海は笑う。
「君が例え私と別れたいと思ったとしても、神である私がそれを赦しません。ねえ、愛しい子。君は知っているでしょう?糸に絡めとられ藻掻く君は愛しいけれど、それは無駄でしかない行動です。だって、私は君を逃さないのだから」
嫣然と笑い、続けられた言葉はどこまでも傲慢だ。
(あぁ、そっか)
ふいに、ゆきは気がついた。捕まったのは、天海じゃなかったのだ。―――――――ゆきだ。
「愛しい子」
そうして憐れな子、と神様はそういってゆきへと口づけた。この声に、ゆきはきっと囚われている。それなら、いいだろうか。ほんのすこしの時間、天海を独占するくらい、赦されるだろうか。いつか、ゆきは忘れられてしまうかもしれない。けれど、けれども。生きているゆきの時間を全て捧げれば、天海の時間をくれるだろうか。
「天海、私は」
これ以上、ゆきの言葉を聞かないとでもいうように天海はゆきの唇を塞いだ。
次第に深くなっていく口づけに、どうしてこんなにも満足したような気持ちになるのかが、わからない。

蜘蛛の糸に絡められた蝶は、きっと幸せなのだろう。だって、蜘蛛が蝶を食べる間だけは、蜘蛛のことを独占出来るでしょう?そんなことを思う時点で、ゆきも可笑しいのかもしれないけれど。斯くも恋とは人を狂わせるとはこのことか。繋いだ手はいつかは離れてしまう。そんなことはしっている。だからこそ、ゆきは天海と手を繋ぎたい。いつか、離すために。そうして、繋ぎなおすために。離れた手を、ゆきが生きている限り、何度だって繋げるから、だから、

―――――――二人、手を繋いで

ゆきは、手を伸ばした。天海の手へと己のそれを絡めて、握る。天海の手は、ゆきのそれよりもほんの少しだけ、冷たい。握る手の力を強めて、ゆきはようやく安堵した。だって、こうしたら、







天海もゆきも、此処以外、どこへも、行けない。



















『手を繋いで 完』



《手を繋いで:オマケ話》

これまでの経緯を洗いざらい吐かされ(というよりも誘導尋問だった)挙句「仕置き」と称して様々なことをされたゆきはぐったりとしていた。もう、離れるだなんて馬鹿なことはやめておこうと。というよりも、ゆきは天海のためをおもってやった行動をここまで否定されるといっそのこと切なさを通りこして晴れ晴れとした気分になるから不思議である。
恨みがましげに天海を睨めば、けれども天海は
「自業自得、ですよ」
と涼しい顔。もうこれ以上なにを言っても無駄であろうとゆきはすぐに諦めた。そうして、ふとあることが気になった。
もしも、ゆきが天海を嫌いになって本気で別れたいと言いだしたとしたのならば、天海はどうしていたんだろうか。
「でも、もし私が天海を嫌いになって、本気で別れたいって言ったらどうするの」
「……」
天海は何も言っていないはずなのに周りの温度が10度くらい下がったような気がしてゆきは慌てて「たとえ話だってば!」と叫ぶ。天海は笑って何事もなかったかのようにさらりと言った。

「そもそも、キミが本気ならば、この部屋から出すつもりはありませんでしたよ?」
「……へ?」
部屋から出すつもりがない、という言葉がゆきの頭で正確に理解出来なくて一瞬きょとんとした顔をした。ようやく、理解して、それからゆきは盛大に顔を引き攣らせた。
「それって、監禁って事?」
「まあ、そうかもしれませんね」
「犯罪だよ!」
「人の世の理に神が縛られるとでも?」
ここまで言い切られるといっそのこと清々しい。言葉を失っているゆきに天海はにこりと笑った。
「もう君に嫌われているのならば、これ以上嫌われることはないでしょうしね?」
何も怖いものはないですねと言い切った天海にゆきは乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
「…あ、はは」

どうしよう、この神様怖い!

ほんのすこしだけ選択肢を間違えたようなそんな気がしたけれども、きっともう後悔しても遅いのだろう。というか、ゆきも何だかんだでこの神様が悔しいことに好きだったので。なんとなく、宥めすかされたような気もして、自分が天海の掌の上でころがされているような気がして、ゆきは頬を膨らませた。
「なんか、悔しい」
「おやおや」
ぽつりと呟いたゆきに、天海は面白そうに微笑うだけだった。その笑みがほんの少しだけ満たされているように見えて、ゆきは少しだけ、幸せになる。そうして、あぁ、やっぱり転がされてる…。と複雑になった。
まあ、それはそれで幸せなのかもしれないけれど。



けれど、後日、久しぶりに開いた携帯に天海からのメールが何千件も届いていて恐怖したのをここに記しておく。やっぱり、この神様、怖い!






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