物語のような美しい言葉も情景も何ひとつ有りはしなかった  

幼い頃、奏がまだ郁人の事をまだ「郁人くん」なんて呼んでいた頃の話だ。姉(といっても義理だから血は繋がっていない)は、今と比べて少しは姉らしかったような気がする。まだお互いが家族になるなんてことを理解していなかった時。

初めて会った時、彼女は「こんにちは」と年上らしく穏やかに笑った。年上といってもひとつしか変わらないはずなのに、郁人にはその1年がなによりも大きく思えたのを、今でも覚えている。それから、時折逢う、優しくて、穏やかなその年上のお姉さんを郁人が好きになるのは時間の問題だった。そう考えると、今、こうやって好きな人の傍で生活できるということを、郁人は感謝しなければならないかもしれない。

家事が万能だから、という理由で二人きりにされた挙句に我慢しつづけなければならない、としても。

家へと帰った時、いつもよりも静かなその家に郁人は少なからず落胆した。姉が引きこもりを止め、学校を通い始めてからというものの、門限を守った試しなど片手で数えるしかない。いつだって姉の気配を感じることが出来たはずの家は、それがないだけで酷く広く感じる。憂鬱な気持ちで玄関をあがり、リビングへと足を踏み入れればそこには居ないと思っていた人がいた。姉貴、と呼びかけようとして彼女が寝息を立てているのに気がついて郁人は慌てて唇を噛んだ。

最近、悪夢しかみないの。

眠りが浅い、そういってどこかげっそりとした顔をした奏を思い出し、その悪夢の原因を作り出している郁人は溜息をつく。時折睡眠不足だといいながらフラフラとよたつきながら廊下で人とぶつかりかけている奏を見ていると悪い事をしているような気分になる。これが良心の呵責というやつなのかもしれないけれど。視線の先、郁人が何もしていないからこそ奏は酷く穏やかな顔をして眠り続けている。
(これは、なんていう拷問なんだ)
そろり、と気配を消して近付き、郁人は彼女の顔が見れる場所へと陣取った。広いリビングにあるのは奏の穏やかな寝息と、郁人の息遣いだけ。たいした音ではないけれど、物音がなにもない部屋では妙に大きく感じる気がした。
「……馬鹿姉貴」
なんでそんなに無防備なんだよ、と小さく悪態を吐いて、郁人は彼女の顔にかかった髪をなおしてやる。頬に触れた指が擽ったかったのか、奏は小さく身を捩る。そのせいで、彼女が寝苦しいから緩めてだろう襟元が肌蹴て、白い肌が露わになった。もしかして彼女は起きていて、郁人を試しているのではないかという気がして、頭が痛くなる。ふいに、彼女から名前を呼ばれた気がして郁人は体を強張らせた。
「おい、起きたのか?」
「……」
「あぁ、全く。襲うぞ、そんなに無防備にしてたら」
言いながら、このままでは自分が耐えられなくなりそうだと近くに逢ったブランケットを持ちだし、彼女にかけてやる。まるで眠り姫みたいだと思いながら、それならばキスでもしてやれば目が覚めるだろうかと馬鹿なことを考える。どんなに頭を回そうと、それでも一向に夢から醒めぬ姉に段々腹が立ってきて、郁人は身をかがめた。そうして、さっきおもったように唇を落とす。唇の端のギリギリあたるかあたらないかきわどい場所へと。
「……馬鹿姉貴」
眠り姫を起こすのは王子の役目だ。キスを唇にしなかったのは、彼女が起きないのが怖かったから。嗚呼、馬鹿馬鹿しい。例え郁人が彼女の“王子様”でなくとも、郁人にとって奏はいつだって“お姫様”だというのに。全てが理不尽に感じて、郁人は小さく悪態を吐いた。




 

よくよく考えたら奏ちゃんがお姫様だったら、その弟は必然的に王子様になるよねって思ったら悶えた。畜生、なんだとこのカップル……!とりあえず 両片思いが大好物です(笑顔

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