一度、枷を外してしまえば、元のように枷を嵌めるのは至難の業になる。そのことは、身をもって体験しているはずなのになあと孔明は苦笑いを浮かべた。嘗て、亮に人の温かさを教えてくれた天女は、その存在を亮の前から消えることで亮の中の彼女の大きさを気がつかせた。けれど、その想いをしまいこみ、想いを枷にはめてしまえば、純粋に彼女の思慕は嬉しかった。絶対的な信頼、親愛。それらは全て昔、亮が欲しいと望んだものだ。欲していたはずのものが手に入ったはずなのに、どうしてこんなにも飢えるのだろうか。これ以上、何を彼女に自分は求めるというのだろう。

「僕、意外と無欲な人間だったと思うんだけれどなあ」
「…?何の話ですか?」
花は孔明の言葉に顔をあげ、怪訝そうな顔をした。孔明は花の顔を見て、そうしてにっこりと笑った。昔、花が“亮”に話してくれたことがある。湖の底に斧を落としてしまった男が、池の底にすんでいる神に尋ねられるのだ。
【お前が落としたのはこの金の斧か、それとも銀の斧か】
と。正直者だった男は正直なままに自分が落とした斧がそのどれでもないものであることを告げ、神はそれに感心して全ての斧を男に授ける。その話を聞いていた隣の男は同じようにし、けれども彼は欲張ったために神の逆鱗にふれ、金銀の斧を得るどころか、己の斧ですら失ってしまう。

「……欲張りになった気がするなあって」

もしかしたら、誰かが孔明に罰を与えるのかもしれない。花を失ってしまうかもしれない。そう思えば、自然と胃の腑が冷えるから不思議なものだ。無欲であれ、そうでなければきっと全てを失ってしまうのだから。

「師匠は全然欲張りじゃないと思いますよ」
「それは隠しているからだよ」
「別に隠さなくてもいいと思いますけれど…そう言うところは、師匠は不器用ですよね」
「不器用?」
初めての評価に孔明は興味をそそられた。誰しもが孔明のことを神童だとか、天才だとかそういって持て囃してきたけれど、不器用とは言われたことがない。

「師匠は不器用ですよ。師匠が本当に欲しいと思えば全部、手に入ると思いますよ」
そういって無邪気に笑った花に、孔明は一瞬息をつめた。
「―――――泣くかもしれないのがわかっているのに、そんなこと出来るわけがないだろ」
孔明が低く呟いた言葉は、どうやら花に聞こえなかったらしい。花が何か言いましたか、と首を傾げて孔明は「なんでもないよ」と手を振って見せた。
「白湯、もってきてくれる?疲れちゃった」
体よく花を執務室から追い出し、孔明は机に突っ伏した。例え、手を伸ばせば手に入ると知っていても、彼女の泣き顔を想像するだけでその手は行き場をなくすのだから困ったものだ。






それからずっと、キミのことを考えてた
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