「結構です」

ぴしゃりと言い切りと、孔明はうっすらと微笑を浮かべてみせた。その言葉は広間に響き渡り、がやがやと歓談していたはずの人物たちは口を閉じて何事かと視線を滑らした。視線の先には、玄徳と孔明が居る。ぴりりとした雰囲気を察したのか、雲長が「どうかしたのか」と玄徳の元へと赴いた。雲長の見る限りでは、孔明は微笑を浮かべてはいるが目は笑っていない。口元を隠すように羽扇を仰げば玄徳が唇を開いた。

「気にするな、雲長。別に大した話はしていないし、俺が浅慮だったんだ」
「いいえ、わが主。彼女も玄徳様に気にかけて戴いて光栄でしょう…けれど、彼女はまだ正式に玄徳様に仕官していないのですし、私もまだ彼女を一人前と認めたわけではないので」
御心だけで結構ですから、そういって丁寧な言葉を操る孔明を雲長はみやる。説明しろ、と言いたげな雲長に答えたのは玄徳だった。

「花の衣が大分と草臥れているようだったからな…新しいのを買い与えてやらなければ、と言ったんだがすげなく断られてしまっただけだ」
「……それは」

苦笑めいた言葉になんと言い返したものかと雲長は眉をよせる。そりゃあ、恋人を前にしてその相手の衣を買い与えようと思うんだが、と言われれば怒るだろう。なんというか、普段から人の機微には聡いほうではなかったが、こういう所が玄徳は気が効かないというかなんというか。しかし。

「けれど、確かに彼女の衣は新調した方がいいかもしれないな」
雲長が彼女の姿を思い浮かべれば、やはり何度も戦場に出ているせいか所々、解れたりして痛んで居るように思える。そのたびに繕いなおしたりはしているようだけれども。

「そう思うだろう?あの衣を大事にしてくれるのは嬉しいが」
「……花にあの羽織を与えたのはわが主でしたか」
「ん?ああ、まあ、あの洋服だと目立つからな……おい、どうした孔明。なんか笑顔が怖いぞ」
「いいえ、気のせいです」

そうはいいつつも、軽く笑顔が引き攣っているような気がしたのは雲長の気のせいではあるまい。まあ、ただその言葉を吐いた張本人は孔明の表情の変化をあまり気にしていないようだったが。

「そうそう。それで、近々、商人が反物を城に持ってきたいと言っていたんだ。その時にでも選ばせようかと思っていたんだが……」
「玄兄、」
「御心はとても嬉しいですが、あの子は私の弟子ですので」
「とまあ、こんな風に断られてしまってな」

雲長が何かを言わんとしたのを遮り、これでこの話はおしまいとばかりに孔明はにっこりと微笑ん だ。その微笑をみた者たちはこぞってやれやれと溜息を吐いたのだった。




子供じみた独占欲
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