狂愛ロマネスク


手に入らないのならば、いっそのこと殺してしまおうか。

錫也は彼女に対して、そんなことを思ったことがある。それも、かなり頻繁に。昔からずっと傍で守り続けてきたというのに、自らそれを壊してしまおうだなんて馬鹿な話だ。笑い話にすらもならないかもしれない。けれどどうしても、大事に、大事に囲ってきた宝物をけれども錫也は己の手で壊してみたいと思うことがある。その言葉を囁くのは、もうひとりの自分で、そうしてそれを止めるのはもうひとりの自分。要するに、錫也という存在の中には二人が居るのだ。それを人は人の心に住む悪魔と天使といい、そうして良心と汚心という。実際にその行動を起こさなかったのは、自分の中の常識という名の良心が止めるからだ。

他の男へと無邪気に笑いかけている月子を見ながら、錫也は非常識という名の誰かが囁くのをぼんやり聞いていた。非常識は言う、曰く、殺してしまえ、と。殺せば月子は手に入るのだろうか、ぼんやりと迷った錫也に良心は渋い顔をする。そんなことをしたら、もう彼女は笑わないし、錫也の名前を呼ばない。それは、あまり良いことだとはいえないのじゃないかと。錫也は思わず苦笑した。自分の中にある良心ですらも完璧に美しいままではいられないようだった。
「錫也」
「……月子?どうしたんだ、何か用?」
「え、何か用があるのは錫也でしょう?何だか、こっちをずっと見ていたみたいだから」
にこにこと笑う彼女は、錫也が殺意を抱いていただなんてことをまるきり想像していないようだった。穏やかな瞳は、錫也を映して、そうして安心したように目を細める。全幅の信頼、とでもいわんばかりのその表情に錫也は唐突のその信頼を裏切ってやりたい衝動に駆られる。彼女はどうするだろう。柔らかな笑みは悲しみに、温かな瞳は絶望に染まりあげ、そうして、そうして。

「錫也」

己の名を呼ぶ声に、錫也は、はっとする。そうして、じわりと己の背筋に汗が伝うのを感じた。今、自分は何を考えたのだろう。そっと目を閉じ、そうして自分を落ち着かせるように溜息を吐いた。
「もしかして、具合悪いの?」
保健室いく?そう言って錫也の手を月子が引っ張る。嗚呼、本当に、俺って最低。穏やかで優しいその温度すらも、今の錫也にとっては毒に等しい。




 


蟹座の彼女が「ああ、もう、本当に殺しちゃいたいくらいにアイシテイルの」って満面の笑顔で言ったのが結構本気で怖かった。ぞわってした。多分きっと私が錫也に重ねたからなんだろうなあ。っていうか、結構な恐怖。夢に見そう。……愛って怖いってその時に思った。

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