「――――箱だ」

ぽつり、と友人が呟いた言葉に林檎は顔をあげた。琥珀色の液体を流し込んでいる友人は、どこかぼんやりと宙を眺めていた。酔っているのだろうか、と一瞬思ったがすぐに(そんなはずはないか)と林檎は頭を振る。この男があの程度の酒で酔うはずがない。

「箱って、何。いきなり、どうしたの」
「箱が欲しいなと思ったんだ」
「箱?」
「あぁ、箱だ」

唐突な言葉に林檎は眉を寄せる。
男はやっぱり酔っているのかもしれなかった。なにせ、この友人は恋人が出来てからというものの付き合いが悪くなったのだ。酒を飲むのも久しぶりだと言っていた。なれば、酔うのは当然のこと。だから、仕方がない。言い聞かせるように林檎はそう思った。何故だろう。そう言い聞かせなければこの男の隣に座っていられなかった。人間の根本、本能が警鐘を鳴らす。この男は危険だと。可笑しなものだ、今まで友人として付き合ってきたというのに知らない人間のように見えるだなんて。どうにかその話題から離れるために、林檎は彼にとっての最愛の恋人の名前をだすことにする。

「意味がわからないわ。それより、いいの?ハルちゃん、あっちで囲まれているけれど」
見れば、春歌はクラスメイトに囲まれていて笑っていた。楽しげな声はこちらまで響いてくるから、龍也にも聞こえていないはずはない。けれど龍也は何も反応しない。
「それよりも、箱だ。あぁ、そうだ。あと鍵も必要だな」
「なによ、箱、箱、って。何でそんなもの必要なのよ」
「大事なモノをいれるんだ」
「大事なモノ?」
「あぁ」
林檎の言葉に、龍也は今日一番の笑みを浮かべた。その笑みにぞくりと背筋が粟立つのを感じた。この男は、こんなにも昏い笑みを浮かべる人間だっただろうか。ごくりと唾を飲み込む自分の音が妙に大きく響いた気がした。
「なくしたり、壊したりするのは困るだろう?お前だって、宝箱のひとつやふたつはあるだろう?」
「まあ、そりゃあ」
「だから、箱だ」
「き、金庫でも買えばいいじゃないっ!」
「金庫じゃ小さすぎるだろう?最低でも4メートル四方はいる」
「……4メートル?」
そんなに大きな箱に、何をいれるんだろう。4メートル四方の箱、なんてもうすでに箱でなく部屋ではないか。ふとそう疑問に思って、それから気がついた事実に林檎は息を飲んだ。部屋に入るのは、人間と決まっている。龍也の大事なモノ、大事な人間。ヒュッっと変な所に息が詰まった。

「……ねえ、入れるものって何なのよ」

まさか、人間とか言わないわよ、ね?
冗談めかして言おうとした科白は、揺れて中途半端な音になる。それを見て、龍也は嗤った。

「――――――――さぁ、な」

酒の席の戯言だ、そういっていつもの笑顔を龍也は浮かべた。それに安堵するべきなのに、貼りつけられたお面のように見えて余計に顔を引き攣らせてしまう。龍也は林檎の顔をみて目を細めると立ち上がって春歌の方へいった。その背を見ながら林檎は妙にドクドクと大きな音で脈打つ心臓の上へと手へ置いた。
(あれは、ダレ?)
恋は人を狂わせる。陳腐な例えではあるが、けれども先人の言葉は得てして素直に聞き入れるべきと決まっている。林檎は今までのやりとりを忘れるように持っていた酒を喉に流し込んだ。


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