触れる唇が熱い。

テレビの向こう側に居る人、私の夢であり、憧れ。HAYATO様という人は私にとってはなくてはならない人で、こうやって大好きな作曲の世界へと足を踏み入れる勇気を与えてくださった方だ。
「HAYA…」
「HAYATOって呼ばないで」
お願い、と泣き出しそうな声でHAYATO様はそう言うと私の唇を塞ぐ。口付けは深く、深く。声を奪うように。私がHAYATO様と呼ぶのを恐れているというように。ようやく解放された時にはすでにぐったりと体の力は抜けていた。ぼんやりと私はHAYATO様を見る。HAYATO様はどこか苦しそうな、そんな顔をして私を見ていた。
「僕は、ハヤト。一ノ瀬ハヤトだよ」
「ハヤト、さん」
呼んで、と言われて私は彼の名前を呼ぶ。名前を呼んだだけなのに、ハヤトさんは物凄く嬉しそうな顔をする。そうして、ハヤトさんは私の頬に触れる。それから微笑む。いつもとは違う、弱弱しい笑みを浮かべる。
「時折、息苦しくなるんだ」
「……」
こてん、と私の肩に額を押しつけて、それから自嘲めいたようにハヤトさんは呟く。
「僕はアイドル。わかってる。でもね、時折。ほんの少しだけ疲れちゃうんだ。アイドルであるっていうこと。笑っていなきゃいけないこと」
「ハヤトさん」
「うん、解ってる。解ってるよ、ちゃんと。でもね、僕は君に伝えているかなって思ったんだ」

「君の傍にいると、息が出来るんだ」

微笑んで、彼は笑う。ゆるく私を抱き締めているハヤトさんの背に私は腕をまわした。ぴくりと反応する体に大丈夫とそういうように手に力を込める。




柔らかな掌がハヤトの背を撫でる。温かくて、優しい。そんな手を感じながら彼女には絶対に見えない位置で、ハヤトは、くつりと唇だけで笑う。

(ああ、ホント、僕って腹黒い)


芸能界という場所は綺麗な人間が生き残るコトなんて出来ない。理不尽の上に理不尽を塗り重ねたような世界だ。ぐるぐると目まぐるしく変わっていく変化に対応していく柔軟性だったりだとか、頭の回転の速さだったりとか。様々なことを要求される。その要求に付いていけない人間はドロップアウトするだけ。そんな世界に居るのだから疲れるのは当然のこと。けれどその疲れは自分にとっては他愛のないことでもある。図太くなければ生きていけない。こんな風に精神的に追い詰められているようであれば、さっさと芸能界から去るべきだろう。

ハヤトがわざわざ春歌にそういった面≠見せるのはわざとだ。憧れの人、を彼女の中で守らなければいけない人≠ノ変えるための儀式。そうでもしなければ、ハヤトはいつまでたっても彼女に手を出せない。

欲しいモノがあった。誰よりも欲しいと思って、だから手に入れた。ただそれだけのハナシ。一度手に入れたものは、手放すなんてそんなつもりはない。だから彼女の優しさだとか、そういったものに付け込んで、僕は彼女の心に楔を打つ。カツン、カツン、と。雁字搦めにして、そうして彼女が逃げられないように。

「僕は、キミがいるだけで大丈夫だから……」

即ちそれは、キミがいなくなればどうなるかがわからないという脅迫。優しくて、そうして責任感の強い彼女は真面目な顔をしてこくりと頷く。それを恍惚りとしながら、僕はみつめる。もう少し、あとすこし。あとちょっとで、キミは僕の元まで堕ちてきてくれる。僕は優しくないから、君の手を掴んでそうして離さない。そうして二人で堕ちれる場所まで堕ちていこう。だって、二人でなら、きっと怖くない。そうでしょう?




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